このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ
テロリスト尹奉吉と翫正敏
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成20年9月9日火曜日晴れ △
得意そうに手榴弾を持ち写っているアホな男の写真は、朝鮮人テロリストである尹奉吉です。この尹奉吉は一九三二年(昭和七年)四月二九の日天皇誕生日である天長節の日に、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典会場に爆弾を投げ爆発させる事件を引き起こしたテロリストです。この尹奉吉のテロにより、当時の上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則、上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次が殺害され、第三艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎、第九師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数が重傷を負いました。ミズーリ艦上で行われた降伏式典で降伏文書に署名した当時の外相重光葵が杖をついているのはこのテロにより片足を失ったためです。
尹奉吉は上海で死刑判決を受けたのち、上海派遣軍の主力部隊であった、金沢に司令部を置く、陸軍の第九師団であったため、金沢市に連行され、銃殺刑に処され野田山の陸軍墓地に埋葬されました。
そして、金沢市は朝鮮総連施設に固定資産税を一部減免しているだけでなく、その朝鮮人爆弾テロリストの尹奉吉の「尹奉吉義士殉国碑」という石碑を平成四(1992)年四月、埋葬跡地のすぐ近くに建てる事を許可しています。
当時の翫(いとう)正敏社会党参議院議員(真宗大谷派正光寺住職)が保存会会長として、保存会まで生まれていますが、その規約の第四条に「一九三二年、日本が尹奉吉義士を暗葬したことは、朝鮮植民地支配に抗した上海天長事件の証拠隠滅と、歴史からの抹殺が目的であった。義士の足跡を残す事によって、暗葬の事実を明らかにするとともに、日本による侵略戦争の歴史を風化させず、後世に伝えるため・・」となっているそうで、「日本人が暗葬地を保存する意義」と題した挨拶では
<かって日本は韓国・中国をはじめとするアジア太平洋地域を侵略し、幾多の人々に言語に絶する堪え難い苦痛と苦しみをもたらしました。この過ちは深く反省しなければならず、決して繰り返してはなりません。特に一九一〇年の日韓併合は、四千年以上の歴史を有し、日本文化の直接の先輩ともいえる隣国を植民地としたという点で、世界にも例をみないほどのことです。>
<この暗葬地を日本人として保存することは、ユン・ボンギル(尹奉吉)から爆弾を投げられた日本人ひとりひとりの責任であると思います>
「日韓共鳴二千年史」(名越二荒之助編著 明成社)P三七七〜三七八より
これについては、名越氏が同書で「事件を当時、国際的にも大きく取り上げているので、暗葬することにより証拠隠滅とか歴史からの抹殺をはかろうとしたという解釈は、こじつけも甚だしい」「上海事変が終息し、外交交渉に委ねている時に、政治テロをおこした事が許されるか」「我が国として、武士の情で、絞首刑ではなく銃殺としたことに本人も感謝している」「墓標も用意したが、金沢の朝鮮人部落の動きを警戒し暗葬にした」「一方的な反省では歴史は生きてこない」と反論されている。
私も、この翫氏の「日韓併合は、四千年以上の歴史を有し、日本文化の直接の先輩ともいえる隣国を植民地としたという点で、世界にも例をみないほどのことです。」という歴史に対しての一方的な解釈ぶりには驚くしかない。
ましてや、当時の朝鮮がどのような状態であったか。我が国が併合しなければどうなっていたか。その併合のおかげでどのように変わったか。また、戦後から現在まで多くの朝鮮人が我が国に密航までし、不法滞在、不法就労、売春、そして、殺人、窃盗など多くの犯罪まで犯している事に対してどのように思っているのでしょう。
この翫正敏氏は「朝鮮民主主義人民共和国民衆に食糧を緊急支援する石川県民の会」を組織し、北朝鮮に米を送って北朝鮮政権を支える役目も担っています。
日本のためにならない事だったらなんでもやる連中・・・・・