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慰安婦と軍人の給金の比較
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成19年10月9日火曜日小雨のちくもり △
今日、河岸に行くために日比谷線築地駅から出るとすぐに男性が乞食の真似事をしていた。真似事と書いたのは、男性がやっていたのはあくまでマネゴトであり、乞食ではないと感じたからです。
えらそうにあぐらをくんで座り、前にカンを置いている。
この男性は私より少し年齢が上なだけと思います。働こうと思えば働ける年齢でしょう。汗水流して働く事を放棄し、自分では働かずに見ず知らずの人から金を恵んでもらうという卑しい根性。
現在でも部落差別差別と騒ぎながら、公務員の就職枠など特別扱いを受け、カラ出張、カラ残業代を受け取り平然としているダニ連中。
ウソをついても、もらえるものだったら何でももらう。金を寄越せと叫んでいる朝鮮人慰安婦、インドネシア慰安婦などと同じようなものを感じます。
その金学順など朝鮮人戦時売春婦の証言については湊郁彦氏が著書「昭和史の謎を追う」(文春文庫)、杉本幹夫氏の著書「植民地朝鮮の研究」(展転社)など数々のみなさんが強制連行についてそのウソについて指摘しています。
金学順は訴状(全文は平林久枝編『強制連行と従軍慰安婦』日本図書センター一九九二年刊収録)では「一九二三年生まれ。金泰元の養女となり、貧しさのため十四歳で四十円で養父に妓生として売られ」
文玉珠は訴状では「一九二四年貧家に生まれ、女中をしている時、宋という朝鮮人から『食堂で働かないか』と誘われ、四二年釜山から船でビルマに渡った。慰安婦として働いて、ためた一万五千円のうち五千円を実家に送った。」
となっています。
文玉珠という慰安婦は、平成四年に二万六千百四十五円の郵便貯金返還の訴訟を起こして敗れている。
連合国軍がビルマの朝鮮人慰安婦に尋問した結果 報告によると、「一カ月三百−千五百円の稼ぎを得て、
五〇−六〇%は経営者の取り分だった」
となっています。つまり、慰安婦としての稼ぎは月収にして百五十円から 七百円ほどにもなります。
当時の日本人の月収はどれほどだったか 。
警察官の初任給が四十五円、 大学の年間授業料は早大が 三百四十円、慶大が三百五十円
『値段の明治大正昭和風俗史』(週刊朝日編)
そして、下記にその慰安婦に対して料金を払っていたであろう我が国の軍人がどれだけ給料を得ていたかを記します。
武官俸給
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陸軍
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下士官
陸軍下士官 |
海軍下士官 |
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「知識の宝庫」学習社 昭和一三年版二九九頁(私は「正論」平成一九年一〇月号P四〇九〜四一〇より引用)
大将でも年間六六〇〇円の金額であった時代に、文玉珠という売春婦は二万六千百四十五円の郵便貯金を持ち、ためた一万五千円のうち五千円を実家に送ったのです。
ちなみに、郵便貯金の二万六千百四十五円は確認されたが敗訴になっている。つまり、間違いなく、その時代にその大金を慰安婦をする事により稼いでいたのです。
何度も書きますが、売春婦は歴史的にも今も世界有数の売春大国であリ続ける朝鮮はもちろんの事、我国にも存在します。需要があり、そして、お金になるからです。ましてや、今よりも貧しい時代であり、売春も合法であった時代ということを考えればおのずとわかることです。
それを強制だと騒ぐ嘘つき朝鮮人慰安婦。
まあ、一番の問題は、そういったダニを焚き付ける朝日新聞などの腐れマスコミとアホな日本人連中です。