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福田和也の記述について

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成18年5月1日日曜日はれ 暑いほどのいいお天気 ○
 このゴールデンウイークは十日間もあるので、朝から本を読んでゴロゴロしていることができる。あれもこれもと読んでいて、気になる箇所がいくつかあった。そのひとつが福田和也氏が山下大将のことを「諸君」平成十六年十一月号に書いているのですが、それによると、福田氏はこの中で山下大将の墓というものについて書いている箇所がある。
以下引用
 山下の墓−−遺骨は後に多摩墓地に移されたので、元墓だが、終焉の地であることは間違いがない
略)
 中村さんによれば、数年前までは、石造りの墓碑が立っていたというのだが、それはあとかたもない。
略)
 私は、ぼんやりと、山下の墓碑があったという辺りを眺めながら、パナマ帽で蚊を払っていた。
p217

 大東亜戦争において日本人戦犯とされた皆様の御遺骨がどのような状態であったか。その御遺体を戦勝国としたアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、支那などがどのようにしたか福田氏は本当に御存じないのであろうか。
 以前にも書きましたが、山下大将はアメリカ軍に武人としての扱いを受ける事なく、マッカーサーの復讐心を満たすための卑劣な手段により絞首刑にされました。
 山下大将の熱心な弁護人であるクラーク大佐、フェルドハウス中佐、ヘンドリック中佐、ガイ少佐、サンドバーグ大尉、リール大尉はアメリカ本国の連邦最高裁判所に人権保護令状の発給を求めて訴願したが却下される。我が国国内においても山下大将の死刑判決に対して、減刑か武人らしく自決の機会をと終戦まもない混乱時にもかかわらず八万六千人もの署名の嘆願書がマッカーサーの元に届けられます。自らの恥辱を晴らさんと復讐に燃えるマッカーサーはそれを無視するだけでなく、「軍職の一員であることを示す制服、勲章、附属物を剥奪した上、山下大将の刑を執行すべし」というマッカーサーの命令により、山下大将は軍人でありながら軍服を禁ぜられ、米軍のカーキ色のシャツ、ズボン姿、緑色の作業服、そして敵軍である米軍の作業帽をかぶせられ、欧米では一番恥ずべきものとされる絞首刑により処刑されました。そして、その御遺体の埋葬場所は秘密にされたままです。

 あと、福田氏の書いてあるところでの疑問は下記の箇所です。
以下引用
 山下は、両手を拳げ、太いベルトを胸と腹に巻きつけられた。
略)
 また、ジープに乗せられた。
足を縛られている山下のために、森田は手を貸さねばならなかった。
 マンゴの樹の下に、絞首台が設けられていた。
 煌々たるライトの下、山下は
十三階段を、昇っていった。

 福田氏は矛盾を感じないのだろうか。ジープに乗るのにさへ手を貸さなければならないように足を縛られている山下大将が、どうして十三階段を昇れるのだろう。
私にはわからない。

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