大東亜戦争と朝鮮
「ルーズベルトよ!答えよ!」
正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、 世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。君は口を開けば
人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、(日本人が)人種差別撤廃文案を 挿入しようとしたとき、これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と
東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも 野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。・・・
しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万 は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならなことを誓っている。
韓国の詩人 朱耀翰 (戦後韓国国会議員)
朝鮮半島学徒出陣総決起大会にて
「愛する諸君よ。汚れた朝鮮民族という名にしがみついて、汚辱の生存を 送るよりも、栄光ある大日本皇民の名の下に死すべきであります。栄光の
死の中にこそ、悠久の大義に生きる不滅の生があるのであります」
昭和十八年十一月二十日 李光洙(韓国近代文学の祖)東京明大講堂
「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければ ならない。一度、決戦する以上、、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し
新東亜建設に邁進しなければならない。」
申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会
「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげて
みても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身 の常識である。いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱なままに一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。
してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする皇国臣民の道である。」
金文輯 「朝鮮民族の発展的解消論序説」
私は今となってはこうした信念をもつにいたった。すなわち、朝鮮人は
朝鮮人であることを忘れなければならないと。血と肉と骨がすっかり日本人 になってしまわなければならないと。この中に真に朝鮮人の永生の唯一の
道があるのだと。したがつて朝鮮人文人ないし文化人の心的新体制の目的 は第一に自己を日本人化し、第二に朝鮮人すべてを日本人化することに
全力をささげ、第三に日本文化を昂揚し、世界に発揚する文化戦線の兵士に なることである。朝鮮文化の将来はここにある。このために朝鮮人は民族感情
と伝統の発展的解消を断行すべきである。
「心的新体制と朝鮮文化の進路」昭和十五年九月 韓国の英雄的作家 李光洙
「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨 で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。」
張徳秀 普成専門学校教授
「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等 の子孫の発展を望むことはできない。」
李成煥 朝鮮農民運動の指導者
昔から春秋に善戦はないといわれているが、今度の戦争(大東亜戦争)を善戦 聖戦といわずして何といえようか。
大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに行くことはなんと快心事であることか。日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して一人残らず出陣することを願う次第である。
「毎日申報」昭和十八年十一月二十日 崔南善
「皇国臣民の誓詞」
児童用
一、私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
一、私共ハ互ニ心ヲ合セテ、天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
一、私共ハ忍苦鍛錬シテ、立派ナ強イ国民トナリマス
学生・一般用
一、我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠以テ君国ニ報ゼン
一、我等皇国臣民ハ 互ニ信愛協力シ 以テ団結ヲ固クセン
一、我等皇国臣民ハ 忍苦鍛錬力ヲ養ヒ、以テ皇道ヲ宣揚セン
作者 「大同民友会」顧問 総督府学務局嘱託 李覚鍾
いわゆる民族抹消論と言ったような非難は一応はやむを得ないと考える。けれども だからと言って日本が統治の根本としてきた「善意の理想」や、その意識方針が直ち
に否定されてよいものであろうか。否、あの頃の大多数の朝鮮の人達は確かにこの日 本の善意を感じ取って呉れた。もちろん、傍観者もいた。
しかしながら今日言われているように全部が全部、決して非協力的ではなかった。
皇民化政策というような言葉の上の問題とは別に、彼らに異民族という意識をもた せないようすべての点に配慮されていた。その皇民化政策という言葉を概念的に言う
ならば、それは彼等の脳裏から被支配民族であるという概念的な劣等感を払拭させる ための一つの積極策であって、これを単に戦争に協力させるためとか、民族意識抹消
政策というようにとるのは日本統治の真底を知らぬ皮相の見解である。従って、総督府は、特に朝鮮人だからと言って日本人と異なる政策をとることは出来るだけ避けて
きた。
今日、最も非難されている徴兵制度実施の如きも、その意味では多くの朝鮮人青年達の熱意に応えた一つの善政であったのである。/
満州異変以後の朝鮮は文字通り日本の兵站基地としてその役割を立派に果たしてく れた。日本が如何に強力で、朝鮮民族が如何に弱かったとしても、お互いの気脈が全く
散り散りであった場合、どうしてこんな大役が果たせていただろうか。朝鮮統治はこの点に鑑みても決して失敗ではなかった。/
あれだけの大戦争への銃後体制というものが果たして権力的弾圧や、単なる為政者の統治手段というもので出来るものではない。
併合当時の現地記者 近藤釼一 著 「太平洋戦争下の朝鮮」昭和三十七年刊
第二次世界大戦を日本国民は団結してよく戦った。それが契機となってアジア諸国
はすべて独立した。この偉業は将来誰も否定できなくなるであろう。そして注目す べきことは、あれほど戦っていた日本が敗戦と決まれば、整然と矛を収めたことで
ある。この見事な収拾ぶりは世界の驚きであった。
韓日人協会理事長 鄭時東
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