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朴一の著書に見る創氏改名
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
朴一氏のその著書「『在日コリアン』ってなんでんねん」(講談社α文庫)にて、朴氏は松坂慶子の父親の著書『娘 松坂慶子への「遺言」』(光文社)よりの引用として
<ワシ坂慶子の父、英明さんが生まれたのは朝鮮半島の大邱だった。
略)日本の植民地政策によって韓英明という姓名は日本風の岡本英明に改名され、日本語の教育を受けた。しかし、決して日本人とは認めてもらえなかった。学校では「朝鮮人は日本人より劣っていると教えられ、朝鮮人の誇りは踏みにじられた。「このままでは駄目だ」ということで日本行きを決意した。一九三八年、一五歳のときだった。>(朴氏の著書「在日コリアンってなんでんねん」P45〜46)
と引用している。
また、「なぜ日本名を名乗るのか」として二〇〇二年の調査結果として、七〇代以上で二六・五%、六〇代で六四・八%が生まれた時から使っていると答えたことについて、
<最初の世代である七〇代と六〇代が日本名を「生まれたときから使っている」のは、日本植民地時代の創氏改名政策の結果である。
略)
「生まれたときから使っている」のは、基本的に民族差別から回避するためだったと考えてもよい。とすると、七〇代、六〇代が日本名を名乗る理由は、ほとんど民族差別に起因しているといえる。
略)
「生まれたときから使っている」という回答は、在日コリアンに対する民族差別を否定するものではなく、むしろ民族差別を背景として語られたものと言えよう。>(P一〇〇〜一〇一)
と書いています。
一九四〇年、朝鮮総督府の塩原時三郎学務長と南次郎総監という二人の国賊によっておこなわれた「創氏改名」については、私も朝鮮の人々の歴史や伝統に対する侵害だとおもいます。
朝鮮総督府は、朝鮮人が勝手に日本名を名乗らないように、朝鮮併合直後の一九一一年一一月に日本式の氏(姓)を禁ずる、朝鮮総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を定めている。
名に関しては、日本式の名を用いたいという朝鮮側の要望に屈して、新生児のみ例外的に認めたのは一九三七年である。
つまり、朴氏が著書に引用している一九三八年に一五歳で日本に来たという松坂慶子の父親が「日本の植民地政策によって韓英明という姓名は日本風の岡本英明に改名され、日本語の教育を受けた」というのはウソであるし、在日朝鮮人の二〇〇二年の調査結果として、七〇代以上で二六・五%が生まれた時から使っていると答えた在日朝鮮人もウソをついているのである。六〇代で六四・八%が生まれた時から使っていると答えたうちの少なくともこの時点で六五歳以上の在日朝鮮人はウソをついている事になる。
そんなウソつき在日朝鮮人に対して、基礎知識もなく、
<親の最初の世代である七〇代と六〇代が日本名を「生まれたときから使っている」のは、日本植民地時代の創氏改名政策の結果である。>と書くアホ在日朝鮮人教授。