このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ


<天木直人というどうしようもないアホ

 

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


天木直人というアホ

9月18日木曜日晴れ△

 今、我が国の「直人」でアホ代表といえば、空きカンこと菅直人。

 もう一人のアホ代表は天木直人氏だというのに異論がある方はご本人以外はいないでしょう。

<天木 直人 | 外交評論家

2014年6月11日

朝日「吉田調書スクープ」を捏造だと書いた門田隆将の功罪

門田隆将と名乗る一介のノンフィクション作家が、どういう動機かは知らないけれど、あの朝日新聞の近年まれにみる調査スクープ報道である「吉田調書」について、こともあろうに、何の関係もない慰安婦問題を持ち出して、あの時と同じように、この朝日のスクープは捏造だと書いた。

この門田隆将と、その記事を大きく掲載した週刊ポスト(小学館)、週刊フラッシュ(光文社)は自らの責任の重大さにどこまで気付いているのだろうか。

いずれにしても、門田と週刊ポスト、フラッシュが軽率にも提起した問題は、国民にとっては白黒つけさせて、どっちかウソをついたほうを、メディアから永久追放させなければいけない。

それほど重要な問題であるからだ。

周知のように朝日が、決して外部に漏れることのない故吉田昌郎元福島第一原発所長の手になる事故直後の調書をスクープ報道して世間を震撼させたのは5月20日の朝刊だった。

その調書のキモは「事故直後に第一原発事故現場にいた所員が吉田所長の命令に背いて、第二原発に撤退してしまった」という箇所だ。

これが本当なら、もはや東電はその無責任さを問われ、国民の怒りの中でたちどころに潰れる。

生き残りなどあり得ない。

安倍政権が強行しようとする原発再稼働も吹っ飛ぶ。

それほどの大スクープである。

だからこそ菅官房長官は激怒し、あの悪名高い特定秘密保護法案まで持ち出して、吉田調書を漏洩した犯人探しと厳罰を命じたのだ。

近年まれにみる朝日の調査大スクープである。

しかも朝日は門田の言うような大キャンペーンを繰り返しているのではない。

 朝日も、また今や御用メディアに成り下がっている。

だから、こんな安倍政権を直撃する大スクープを朝日としてキャンペーンする事にはためらいがある。

しかし、この大スクープをものにした記者のジャーナリズム魂と大スクープの価値の大きさに背中を押されて、一回限りの報道にするには惜しいと、遠慮がちに書いているのだ。

それを、門田という一介のノンフィクション作家が、どういう思惑からか知らないが、よりによって、原発とは無関係の従軍慰安婦問題を持ち出し、同じ朝日の捏造だ、と書いた。

その罪ははかりしれない大きさがある。

 なぜか。

福島原発事故の責任を国と東電に正しくとらせる、という問題は、これからますます大きくなる、この国の命運をかけた一大政治問題であるのに、それから目をそらす反国民的役目を果たすからである。

それを一介の作家と週刊誌があの程度の取材で、あの程度の論法で捏造だと断じたのだ。

もしそれが確証のないものなら、門田と週刊誌は、作家活動停止や廃刊だけでは済まない責任を国民から取らされることになる。

そうでなければいけない。

もし、朝日の大スクープが捏造されたものだとしたら、朝日の責任はさらに大きく、朝日は潰れる。

私は朝日なんか潰れたほうがいいと思っている読者の一人だから大歓迎だ。

というわけで、この門田が朝日に売った喧嘩は大歓迎だ。

どっちが勝っても負けても、国民にとってはプラスなのだ。

重要な事は白黒つけることだ。

間違っても、「死人に口なし」のせいにして、うやむやで終わらせないことだ。

そのためには、特定秘密保護法案の情報開示を菅官房長官に求めることだ。

そして、門田の取った勇敢な行為には大きな功績がある。

今こそ情報公開を拒否しようとする菅官房長官の暴挙を責め、この門田と朝日の生き残りをかけた審判を国民が公平に下せるように、吉田調書の全文の公開を大手を振って求めるのだ。

拒否できるはずはない。

これこそが門田の一大功績である。(了)>

 でっ、朝日新聞が誤報(捏造だろうと私は思いますが)と認めた後の天木氏は

<朝日が認めたからといって東電職員が逃げなかったということにはならない

天木 直人 | 外交評論家

2014年9月16日 8時29分

馬鹿な朝日新聞の木村社長があっさり吉田調書の誤報を認めたものだから政府や東電の回し者は喜んで朝日たたきを繰り返す。愚かだ。朝日は誤報だったかもしれないが、だからといって被ばくを恐れて逃げた東電職員が一人もいなかったという証明にはならない。

逃げようとした東電職員が間違いなくいたと思うし、そんな東電職員を誰も責めることはできない。

間職員にそこまで求めるのはかつての玉砕のような危うさがある。

だから安倍政権はこれ以上吉田証書の再検証は行わないだろう。

朝日たたきや管民主党政権たたきのの道具で終わらせてはいけない。

 このようにアホの天木と最近ネットで評判の御仁ですが、この方は同様に下記のような事もご自身のブログに書いています。

<河野洋平こそ日本の政治家の中の政治家だ

天木 直人2014年6月22日 3時18分

河野洋平元衆院議長は21日、山口市で講演し、従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官談話の作成過程を検証した政府の報告書について「正しく全て書かれている。足すべきところも引くべきところもない」と述べた。同時に「日韓両国の指導者は大局的にものを考えてほしい」と語り、日韓両政府の関係改善努力に期待する考えを示した。

私はこのニュースを知って、慰安婦問題の真の勝者は河野洋平であると確信した。

安倍首相は河野談話の検証報告書を公表して、勝ったとほくそ笑んでいるに違いないが、この河野談話で見事に敗れた。河野談話を見直さないと繰り返している以上、安倍は首相は、あとは韓国政府と関係改善を務めるほかはない。

韓国政府は、もはや日本を非難するだけでなく、この河野洋平が求めたように、大局的観点に立って、日本との関係改善に努めるしかない。

そして、何よりも、この河野洋平の談話を一番歓迎するのは米国である。

河野洋平という政治家を私はあらためて見直した。彼こそが、今の日本がもっとも必要としている政治家だ。私がそう言っているから間違いはない。誰も言わないうちに私が真っ先にそう宣言しておく(了)>

 

 この天木という人は下記のような発言もしています。

 

<ソチ五輪開会式に見る習近平主席と安倍首相の胆力の違い

安倍首相のソチ五輪出席を報じるきょう2月9日の各紙の記事の中で私は朝日新聞の掲載されていた次のような記事に注目した。

すなわち朝日新聞は、開会式に見せた習近平主席と安倍首相の態度の違いを観察してこう書いている。「・・・二人は貴賓席中央のプーチン大統領を挟んで40席ほど離れた場所に座った。声を掛け合うような機会はなかった。二人は選手の入場行進でも対照的な姿を見せた。

習近平氏は中国と香港の選手団の入場の際には立ち上がって手を振って激励。台湾選手団の入場時には座ったまま拍手を送った。ところが日本の入場がアナウンスされると、硬い表情で両手を膝の上に重ねたまま、身動き一つしなかった。

一方、安倍首相は、中国選手団の入場の際も拍手を送っていた・・・」

この描写をどのように理解すればいいだろうか。一言でいえば歴史認識をめぐる日中両国の指導者の胆力の違いである。習近平主席は安倍首相がその誤った歴史認識を改めるまでは徹底的に安倍首相と対決していくと言っているのだ。たとえ日本国民を敵に回しても構わない。

もはや間違った歴史認識に固執安倍首相を許す日本国民もまた中国の敵だと言っているのである。これはかつて中国の指導者が、悪いのは対中戦争を始めた日本の軍国主義であって、日本国民もまた中国人民と同様に日本軍国主義の犠牲者だ、と言っていた頃の寛容な中国とは様変わりしたということだ。

このような習近平主席の胆力の前に、安倍首相もそれに負けない胆力が必要だということだ。しかし安倍首相にはそれが見えない。口では強がりを言っているが、何とかして中国との関係を改善したいという弱気が見える。胆力の違いだ。そんなことでは習平主席に勝てるはずはない。自らの歴史認識を貫き、それを批判する中国政府や中国国民を敵に回しても譲歩しないという胆力か、それとも歴史認識の誤りを認めて謝罪し、そこから正しい対中関係を構築して再出発するという胆力を、土力を持たなければいまの日中関係の打開は望めない。習近平主席に勝てる正しい胆力とはどちらか。ちろん後者である

 このようにアホの天木氏は書くが、支那、朝鮮と我が国がつき合って、何かいい事ありましたか?

 下記は以前に支那という強盗国家との付合い方と題して日記(平成21年9月15日)に書いた事です。

 以下再掲載

 支那系日本人である石平氏の著書に<「日中友好」は日本を滅ぼす>(講談社+α新書 平成十七年刊)というのがあります。

 この著書の最終章には「日本および日本人へ贈る、三つの提言」として下記の事が書かれています。

提言一、

 冷やすべし、一億総熱狂の中国進出ブーム

提言二、

 構築すべし、距離感を持ったクールな日中関係

提言三、

 警戒すべし、「東アジア共同体」構想の落とし穴

 特に、「提言二」に書かれていた、一九七二年の国交回復以来、高らかに叫ばれてきた「日中友好」という言葉が、いかに嘘であるかという指摘は重要であると思います。

 石平氏は今振り返ってみて、「日中友好」時代とは一体何だったのだろうとして、下記のように書いています。

<中国にとってのこの三十数年間は、「黄金の時代」とも称すべき輝ける時代であった。

 様々な紆余曲折を経験しながらも、経済は未曾有の発展を遂げ、国力は飛躍的に向上した。三十年前と比べれば、中国の存在感は世界で格段に向上している。

 この三十年間、特に改革・開放の初期段階は、海外からの資金と技術を導入すること、すなわち経済立て直しの決めてであったが、主な供給源はいうまでもなく隣の経済大国、技術大国・日本であった。

 一九七八年にト小平が初来日して「隣の貧しい友人をよろしく」と頼んだのに対し、翌年訪中した大平首相はさっそく、円借款を含めた大掛かりな対中援助経済協力を発表したのである。それ以来、日本は累計で三兆円以上の経済協力を実施して来た。

(木下注 アジア開発銀行などの間接的な援助を含めれば六兆円以上である)

 世界の対中国経済協力の六割以上を占める日本からの援助は、経済発展の基盤となるインフラ整備を急いでいた中国の大きな助けとなったことはいうまでもない。

 中国が日本から得たものはそれだけではない。一九八九年の天安門事件以後、西側先進国から経済制裁を受けて孤立している中国に、助けの手を差しのべたのは他ならぬ日本である。

 各国に先駆けて交流や経済の制裁を解除し、先進国首脳のトップを切って訪中したのも日本の首相である。日本との関係回復によって、中国は国際社会「復帰」の糸口をつかんだのである。

 いってみれば、国交回復以来の日中関係は、中国にとっては「良い事づくし」とまで言わないものの、実に益多きものであった。「日中友好」という念仏のように繰り返すだけで、これほどの「御利益」があるとは。中国も予想していなかったであろう。

 しかし、にっぽんにとってのこの三十数年間の「日中友好」には何の意味があったというのか。

 「友好」が数十年叫ばれた結果、日本は中国人から好かれるようになったか、理解されるようになったかと問えば、答えは勿論「NO」である。

 いや、むしろ逆であろう。日本に対する中国人の憎悪が日に増して増大しているのは明らかである。

 朝野を挙げて「日中友好」に尽力し、侵略戦争の過去を償ってきた結果、日本は「歴史問題」という負の遺産を清算出来たか。

 過去の呪縛から解放されたのか。答えはまたしても「NO」である。

 二十一世紀を迎えた現在も「歴史問題」は依然として、中国が日本を叩くための有効な材料となっている。>

(<「日中友好」は日本を滅ぼす>P二百三〜二百五)

 

 支那の指導者であった反日・江沢民は「歴史問題は永遠に日本に言い続けろ」と言い、支那全土に反日記念館を建てているから、歴史問題が解決しないのは当たり前の事である。解決しない方が支那に取って、善意を信じる日本人に対して有力な外交上の武器となるからである。

 自分たちがどのような歴史を持って生きてきたかを学習しない、知ろうともしない厚顔無恥な支那、朝鮮のアホ留学生どもが、我が国のテレビなどで「百年でも二百年でも言い続ける」とほざくのである。

 そして、石平氏は下記のように結論付けています。

<日本は「日中友好」から一体何を得られたというのか。確かに中国との経済交流が拡大したことは、日本にとっても大きなメリットであろう。二〇〇四年、中国は日本にとって最大の輸入国となった。

 しかし、それは「友好」云々とは関係ない。商売とは、双方に有利なものだから成り立つのであって、「友好」とは全く別の世界である。

 アメリカも欧州も、中国との間に「○中友好」を喧伝せずとも、日本と同様、中国ビジネスを展開し、中国で儲かったり、損したりしている。

 「日中友好」が結果的に、日本に何のメリットをもたらしたのか。

 何も無い、と私は思う。

 そして「日中友好」時代が始まって三十年後の現在、日本に対してむしろ「不友好」な姿勢を鮮明にしている中国が「大国」として台頭してきていることだけが、まぎれも無い事実である。

 一九八〇年代以後の中国の台頭とは対照的に、「日中友好」が高らかに叫ばれたこの二十数年間は、日本にとって悪夢の時代であった。

 略)

 少なくとも国交が回復し「日中友好」が叫ばれて以来、日中関係も、日本の国内事情も悪くなる一方だというのは、まぎれもない事実である。

 さらに、戦前の歴史を振り返ってみれば、日本を戦争の道へと導いた指導者たちの多くが、「支那との結合」や「東亜同盟」を声高らかに唱えた、ある意味では「日中友好論者」であったことも、忘れてはいけない。

 戦前の「大東亜共栄圏」と戦後の「日中友好」は、正反対に見えながら、実は一脈通じるものなのである。どう考えても、日本にとって「日中友好」は有害でこそあれ、無用の長物であった。

 日本が今後も中国との交流関係を保ち、さらに協力関係を強化していかなければならない分野もあるだろう。

 しかし、「日中友好」というお題目には終止符を撃つべき時が来ている。

 「友好」もなければ「非友好」もなきう、いわば普通の国同士、ただの「日中関係」でよいのではないだろうか。>

<「日中友好」は日本を滅ぼす>P二〇六〜二〇七

 産経新聞の古森義久氏も「日中関係は「友好ごっこ」である。」と著書「日中友好のまぼろし」(小学館 平成十四年刊)に書いていますが、まさにそれ以外の何ものでもなく、反論出来る政治家はいるだろうか。

 再掲載終わり

 西村眞悟先生を何度もおっしゃっているが、安部総理の外交における最大の成果は、画期的な外交戦略を実践しつつ、支那との首脳会談を実施していないことである。

 

 不良、チンピラ、泥棒、強盗とはつき合ってはいけないのである。

 どこの親もそう教えているはずである。

 不良、チンピラ、泥棒、強盗、人間のクズとつき合いなさいなどと教えている親御さんはいないであろう。

 だから、支那、朝鮮とはそこそこつき合えばいいだけであって、決して、仲良くなどしてはいけないのである。

 親の教えは正しいのである。

 知れば知るほど嫌になる支那と朝鮮。

 あほらし

 四名様来店。

 Bさん来店。

 ドンチャン。

 

 記憶あり。

 サルよりマシ。

 



 

 


表紙にもどる

URAホームページ