参政党 篠原常一郎(古是三春)武田邦彦 小名木善行
6月17日金曜日晴れ △
おい、参政党を応援しとる連中よ
いつでもワシは受けたるからワシの書いとることを否定してみいや
ワシが参政党を信用できないのは
結党時から参加し少なくとも今年の4月まで参政党の「守り神」とまで称されていた篠原常一郎(古是三春)は「愛子様が天皇を殺害して女帝に」とブログに書いて天皇家を侮辱したあの社民党から立候補した増山麗奈を応援していた
<2016年6月29日 軍事評論家 古是三春さんも増山れな応援!>
我が国のギャンブル依存症の元凶であるパチンコ屋を擁護する武田邦彦が候補者の一人
そりゃそうだ。自分自身がパチンコ屋関連企業・ダイコク電機株式会社 役員をやっている武田邦彦
「あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日」というブログを書き、デマを拡散させた武田邦彦はその後訂正も謝罪もしていない
頭の程度はフィリピンに移民すると言っていた山本太郎と同程度
武田邦彦パチンコ礼賛論 2011年02月16日
全遊振セミナーで武田邦彦教授が講演
あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日
マルチ商法をやっていたことを隠し、自称古典文学、歴史の専門家なれど、検証もしない、できない腐れコピペ職人の小名木善行(小名木 伸太郎)
こんな怪しいのがアドバイザー
そういや、ワシが書いたページを写真ごとパクった事もあったよな。
少なくとも、歴史の専門家なら、一杯飲み屋の親父の指摘に反論してみろや
こんな腐れを崇めとるアホも多い
つまり、参政党はアホばかりつうことや
ホノボノとしたええ話やな〜
クソアホらし
架空戦記を絶賛する愛国コピペ商売人・小名木善行
詐欺師集団・台湾民政府とそれを絶賛していた小名木善行氏
コピペ職人小名木善行氏の「台湾霧社事件と和の心」に見る嘘
アーレイ・バーク大将とコピペ愛国商売人ねずさんこと小名木善行氏
青葉慈蔵尊と満州従軍看護婦集団自決物語とコピペ職人小名木善行
ワシが書いた廣枝音右衛門(広枝音右衛門)
ワシの写真から内容までをパクった小名木の「部下たち二千人の命を守った警部・・・廣枝音右衛門」
木下様
初めてコメントさせて頂きます。最新のページにコメントしたのは、いくつかのブログ主には、古い記事にコメントしても、ご覧になって頂けない方もおられるようだからです。
さてお邪魔したのは、2014年12月22日の記事を拝見して、まさに私が今求めている情報に直接通じる内容だったからです。木下様ご自身も覚えておられるでしょうが、「海の武士道」「キャラハン」のことです。
実は、救助された二名の特攻隊員のうち「九死に一生を得た長谷川薫氏」ではなく、「残念ながら亡くなった吉田湊飛曹」は、私の亡父の戦友でした。
吉田さんは、真珠湾攻撃において空母瑞鶴から第二次攻撃隊として九七艦攻で出撃した後、いくつかの海戦に参加し、最後に木下様がお書きになった特攻機で出撃されたわけです。因みに、私の父は同じく真珠湾攻撃に参加しました。父は空母赤城から、第一次攻撃隊として、やはり九七艦攻の操縦担当だったのです。
真珠湾に参加した搭乗員やく700名のうち、線損者は200名くらいだったそうですが、私の父もその一人でした。父は、現代では少々若いと思われる75歳で亡くなりました。
実は私は、父の死後、あるきっかけでこの前の戦争のことを色々と調べていて、父の戦友やその奥様の一人とも交流したことがあります。
今後は木下様のブログも参考にさせて頂きます。
最後に、参政党に関しては、私はあまり深くは存じませんが、新型コロナワクチンに反対の識者を交えて活動している点には、共感を感じていました。武田邦彦氏の動画もよく見ていますが、あの方は、全般的には真っ当な考え方をする人だとは思っています。
ただパチンコ関連の会社の役員とのことで、まあなかなか世渡りも上手な方なのかな、という感じですね。
長くなり失礼しました。名前はハンドルネームにさせて下さい。
現在youtubチャンネルも持っておりますので、ご興味がおありであれば、後日、ご紹介したいと思います。
ご丁寧な投稿、貴重なお話ありがとうございます。
お父上の戦友ですか。
私の父はドカレンと言われた宝塚航空隊でした。
ホームページに書きましたが、父の同期の方をお父様に持たれた高橋様は東京に来られたときにわざわざ寄ってくださいました。
高橋様のお父上は鳴門要塞構築の為に機帆船に乗船している時に鳴門海峡でグラマンに銃撃され、100名のうち82名が戦死された時に生き残られた18名のうちのお一人で、高橋様も子供の時に鳴門海峡を望む丘の上に造られた鎧崎桜ヶ丘英霊墓地に、お父上に連れられ一緒にお参りされたことがあるそうです。
私も、リタイア後はもう一度近代史を自分なりに調べられればいいなと思っております。
参政党に関しては、商売のやり方は上手かもしれませんが、政党として信用はできません。
アドバイザーに武田邦彦だけでなく、何も検証できない、しない嘘つきの小名木善行、上皇后陛下を屈辱し続けるだけでなく増山麗奈を支持する篠原常一郎を置いている、置いてきただけでも信用はできません。
「新型コロナなどあらゆるウイルスを量子物理学的に不活化、波動で無毒化」と謳い高額セミナー抱き合わせ「シオンコロナ」を宣伝してきた吉野敏明の過去の発言、行動なども信用できるものではありません。
投稿いただきありがとうございました。
ご返信頂き、ありがとうございました。しばらくお伺いしなくて、返事が遅れて申し訳ありません。
お父様は、宝塚航空隊におられたのですか。お父上もご苦労されたでしょうね。木下様は、関西の方なのでしょうか?私の父は、昭和11年、呉海兵団に入隊、石川県能登の出身です。
2016.8.3の記事を拝見しました。淡路島は面白い習慣があったのですね。亡くなっても、いつまでも故郷と一体化する、みたいな感じですね。
実は、実家の整理をしている時、父宛ての吉田さんのお兄様の手紙が出てきたのです。
御存知でしょうが、終戦直後は皆、生活で手が一杯で、戦友会などが出来たのは、戦後20年位経ってからでした。父が偶然「特攻隊員の遺書」という本を見て、巻末に吉田さんの名があって驚き、吉田さんの出身の佐賀県厚生部に問い合わせて、特攻隊で戦死の事を知ったという訳です。その後、父が吉田さんのお兄様に手紙を書き、返信が届いたのです。
手持ちの資料を見ると、真珠湾攻撃に参加した搭乗員で、特攻で亡くなった方は、吉田さんを含め5名おられました。
吉田さんの事を知りたいと思ったのは、父が(恐らく戦友会で発表するため)亡き吉田さん宛ての長文の手紙の写しがあったからです。それを読むと、今なら大学生位の若者が、休暇で一緒に出掛けた時の事や、丸顔で可愛らしかったとか、何故か気が合う仲だったようで、「君が亡くなっていたのを知って涙が流れた」とか書いてあり、思わずもらい泣きしました。
また吉田さんのお兄様の手紙に、長谷川薫氏が日経新聞大阪版(昭和46年8月9日)の文化欄に、特攻の事を書いておられるそうで、早速国立国会図書館からコピーを取り寄せました。
父の事を思い出すと、「父にとって戦後は、おまけの人生だったんだな」と
つくづく思います。あの世代の方々は、動乱の時代を一緒に戦ったという経験で、現代の我々には想像出来ないほどの「仲間同士の連帯感」を持っていたんですね。
ついつい長くなって失礼しました。実は私は文京区に住んでいて、いつか
ご挨拶できれば、と思います。ただ私は(父と同じで)酒は全くダメなので、ご迷惑でしょうが(笑)
蛇足ですが、気が向いたら私のyoutube動画でもどうぞ。
「youtube kamibasami」(紙ばさみの意味です)と検索で出て来ると思います。
それでは失礼しました。
今回も貴重なお話ありがとうございます。
私は淡路島の出身で、今も実家、田んぼなどはそのまま残しており、従兄弟が面倒を見てくれております。
文京区にお住まいですか。
近いですから、よろしければ是非、お時間がございます時にでもいらしてください。
少し前になりますが、自分の書いてある事を見てご遺族の方がいらしてくださったことがございます。
その時も貴重な資料を頂戴し、お話を伺えました。
ありがたいことです。
ただ、その貴重な資料などをまだいかせておりません。
全て、自分のだらしなさのせいです。
ユーチューブ動画は今日にでも拝見させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。