所詮、安倍首相のいう痛恨の極みとはこの程度
1月30日火曜日晴れ◯
所詮、安倍首相のいう痛恨の極みとはこの程度。
だから、拉致被害者奪還は安倍政権で最優先順位であると言っている拉致被害者のご家族とお会いした時も毎回「痛恨の極み」の大安売りをやる。
以下、2年前の山際先生の「靖国参拝と台湾女性の涙」と題された記事より
<「大伯父の魂に会った」
平成二十七年八月十五日、私は台湾人女性と靖国神社にいた。
台湾南部の高雄の小学校で教師をするこの女性は、日本人は親切で正直、常に礼儀正しいといつも褒めてくれる、日本人である自分が恥ずかしくなるほどの日本贔屓である。
元総統の李登輝さんが日本の武士道を称賛すると、武士道など忘れてしまっている現代日本人は、日本精神をたっぷり身に付けたこの元日本人に接して恥ずかしい思いをする。これと同じ感覚だといえばお分かりだろうか。
私はツイッターで知り合ったのだが、たまたま日本を旅行していると知って、それなら一緒に昇殿参拝を、と声をかけたのだ。
案内して初めて、この女性の母方の大伯父が、日本兵として南方戦線で戦死していたことを知った。靖国神社には、大東亜戦争に従軍し、戦死した台湾籍約二万八千柱が祀られているが、大伯父はそのうちの一人だったのである。
靖国神社には過去に一度、参拝したことがあると言っていたが、昇殿参拝は初めてという。参拝の間中、彼女は神妙な面持ちだったが、参拝後、感極まった様子で「本日はお蔭さまで靖国参拝ができ、祖父のお兄さんの魂にお会いしました。目頭が熱くなり、涙が出ました」と勉強中という日本語で語ってくれた。
首相参拝を待っている
そんな彼女が日本のことでどうしても許せないと感じるのは、日本の政治家やメディアが、中国や韓国の歴史攻撃にろくに反論することなく、平気で日本を罵ることだという。「日本人は日本精神を忘れましたか。総理大臣の靖国参拝も、世界で反対しているのは中国、韓国だけなのに、なぜ遠慮するのか」と嘆く。
「不戦の誓い」という表現にも、大きな違和感を覚えるという。
「この言葉は、まるで何か悪いことをした子供が『もう二度としない』と後悔する表現のように聞こえる。台湾人はもう少し現実的です。私たちは戦争を望まないが、万が一、中国の人民解放軍が攻めてくれば反撃する」
安倍首相に対する信頼はことのほか厚い。首相就任後、台湾を「日本の大切な友人」と呼ぶなど、「台湾は台湾、中国の一部ではない」ということを行動で示しているからだ。中国に遠慮しないでという思いも募るようだ。
萩生田光一官房副長官が、新聞のインタビューでこう語っていたのである。
〈安倍晋三首相の靖国神社への思いも承知しているので、参拝が政治問題化しない時代をつくりたい気持ちがあります。ただ、さまざまな懸案を抱えており、そのことによって他の議題が停滞するのだとすれば、大きな判断で考えなければいけない〉(産経新聞、十一月二十四日)
これに驚かないなら、靖国参拝など最初からどうでもいいと考えている人であろう。萩生田氏は、靖国参拝は首相にとって必ずしも最優先課題ではないと語っているのである。
略)
「第一次安倍政権で靖国神社に参拝できなかったのは痛恨の極み」と語った首相はどこに行ったのだろうか。
三年前、安倍総裁が誕生した自民党総裁選、政権奪還がなった総選挙で、安倍氏を応援してツイッターデモを何度もやった。一時に多数の人が安倍氏応援の書き込みをすることで、ネット上のトレンドをつくり出す試みである。
あるとき、安倍支持者の主婦から、安倍さんは本当に靖国参拝をしてくれるだろうかと質問を受けた。
私は「本人に訊ねてみてはいかがですか」と答えて、遊説先の宣伝カーの下で演説が終わるのを待つようにアドバイスした。数日して、その主婦から連絡があった。
「宣伝カーの下で待っていたら安倍さんがやってきて、握手をしてくれたのですかさず訊ねました。安倍さんは『必ず行きますよ』って」
安倍首相の靖国参拝は、国民との誓約である。中国、韓国の言いがかりにケリをつけて日本の誇りを取り戻すためにも、首相は恐れず、靖国参拝を続けてもらいたい。>
http://asread.info/archives/2996
「痛恨の極み」でもうお腹いっぱいダス
靖國神社って、そんなに遠いんですか?
くそあほらし