戦後、我が国において朝鮮人どもはなにをやってきたかその1
11月8日水曜日晴れ△
但馬オサム氏は『ヤクザとキーセンが作った大韓民国』において解説として下記のように書いている。
<解説 民団も総連もアウトローが作った
民団中央本部団長及び顧問を務めた弁護士の権逸氏は『回顧録』(権逸回顧録刊行委員会、一九八七年)の中で敗戦後の混乱期の在日の生々しい姿をこう活写している。
《法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。
したがって、非人道的で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会にようであった。
このような社会状態が醸し出したものであるかもしれないが、左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視する事が少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。
当然のように無賃乗車する者もいたり、なかには白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。
傍若無人というほかはなかった。》
左翼朝鮮人とあるのは朝連および民戦の構成員たちの事である。
権逸氏は権藤嘉郎という日本名を持ち、朝連からは親日派と名指しされ、金天海支配下の朝連でリンチによる追放を経験している。
また、本書にも度々名前の登場する町井久之とも縁が深く、弁護士として、彼の合法、非合法の活動をフォローした。朴正煕軍事政権で韓国の国会議員を務めた経歴の持ち主で、いわば民団系在日の大物中の大物である。その彼をして、GHQ占領期の一時期、在日同胞の振る舞いは「非人道的で破廉恥な行為」と映っていたようである。
しかし、これら在日朝鮮・韓国人の横暴な行動をGHQはむしろ、ある程度許容していたのである。
その証拠に、日本人は立ち入る事が禁じられていたPX(進駐軍用売店)に、自称「戦勝国民」の彼ら朝鮮人は比較的自由に出入りし、ここで仕入れたウィスキーや洋モクなどを法外な値段で闇市でさばき、莫大な利ザヤを得ていたのである。これは彼ら第三国人(=third nationals 戦勝国民でも敗戦国民でもない、という意味で、当時、朝鮮人、台湾人に便宜上用いられた呼称)の特権のごく一部である。
当時日本人の多くが極貧であり着たきり雀で竹の子生活を送っている、その一方で、上質のスーツを着込み、肩をいからせて闇市を我が物顔で闊歩する朝鮮人も珍しくなかったのだ。
権氏は続ける。
《顧みると、当時のこのような行動は、長い間抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的には痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を植え付ける要因になったのではないだろうか。
加えて朝連と建青の絶え間ない抗争は、この憎悪感を増幅させた上、新たな軽蔑感を生じさせたのではないだろうか。~『回顧録』》
おそらく、今もある日本人と在日朝鮮・韓国人との間にある心情的な「しこり」はこの時代に作られたものであり、その責任の一端はアメリカにもあったのである。
アメリカは同じことを台湾でも行っている。解放後の台湾に、蒋介石を投げ込み間接支配させたのもこれと同じやり方で、台湾では、現在も本省人(台湾人)と外省人(中国人)の対立は根深い。>
『ヤクザとキーセンが作った大韓民国』(ビジネス社)菅沼光弘著 企画構成但馬オサム p二八〜二九より
この但馬氏の文章より読みたいと思っていた「権逸 回顧録」を古本屋さんより入手。
それも非常に素晴らしい状態の本。
この本には但馬氏が引用した箇所は「第六節敗戦直後の日本」として下記のように書かれている。
<第六節敗戦直後の日本
略)
法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。したがって、非人道的で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会のようであった。このような社会状態が醸しだしたものであるかも知れないが、左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。
顧みると、当時のこのような行動は、長い間抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的には痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を植えつける要因になったのではないだろうか。加えて、朝連と建青の絶え間ない抗争は、この憎悪感を増幅させた上、新たな軽蔑感を生じさせたのではなかろうか。
日本の統治下で、三十六年もの間、日本人たちが朝鮮人に加えた数々の行動に比べると、朝鮮人のこのような一時的な、ほんの一年もつづかなかった行動は、大したものではないと言えるかもしれないし、また左翼の闘争理論からすれば当然だと言えるかも知れないが、民族的な立場から見ると、将来のための配慮が足らなかったのであった。当時もそう思ったが、今その時のこと思い出すと、全身から汗が流れる思いがしてならない。>p一〇六
朝鮮人どもがどのようなことをやってきたか、アメリカが我が国を朝鮮人どもを利用しどのように統治しようとしてきたかがよくわかる。
引用文献
『ヤクザとキーセンが作った大韓民国』(ビジネス社)菅沼光弘著 企画構成但馬オサム 平成二十七年刊
『回顧録』(権逸回顧録刊行委員会)育英出版社 一九八七年刊
ドンチャン。
記憶あり
サルよりマシ