淑徳与野高等学校 の反日教師どもとそれに洗脳された女生徒
4月26日火曜日晴れ◯
埼玉県が南朝鮮から教師を招待するとネットにありました。
<埼玉県
韓国からの教育旅行誘致推進のため、韓国の教育関係者を埼玉県に招請します!
埼玉県では、訪日外客数が最も多い韓国(※)からの教育旅行(修学旅行)の誘致を促進するため、韓国の教育関係者を招請し、モニターツアーを実施します。
県内の観光地や国際交流の実績がある高校の視察などを通じて、韓国の教育旅行実施のキーパーソンに埼玉県の魅力をアピールし、埼玉県への教育旅行の誘致を目指します。
略)
ツアー行程(3泊4日)
2月11日、2月12日
2月13日 県立戸田翔陽高校~私立淑徳与野高等学校 さいたま市内宿泊
2月14日>
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0001/news/page/news140210-06.html
埼玉県が招待する南朝鮮からの教育関係者を連れて行くところに淑徳与野高等学校があります。
その淑徳与野高等学校は生徒を南朝鮮に修学旅行に連れて行ったり、研修にまで行かせているようなんとも言えない高校です。
<韓国研修を実施しました
秋季休業中、10月29日(月)~11月3日(土)の日程で、韓国研修が行われました。生徒8名と引率教員1名が、姉妹校であるソウルの豊文女子高校を訪れました。豊文女子高校はソウルの中心部にあり、西に10分歩くと李氏朝鮮の正宮である景福宮、東に10分歩くと世界遺産の昌徳宮があります。やや寒い日が多かったのですが、ホストファミリーに親切にして頂き、とても充実した研修になりました。>
http://www.shukutoku.yono.saitama.jp/news/2012/11/000268.html
このように今でも南朝鮮などに生徒を送り込んでいるこの高校はネットに出ている限りでは過去に南朝鮮関係で三冊もの本を出しています。
「女子高校生が見た韓国独立記念館 : 日本と韓国の過去を見つめる旅」 淑徳与野高等学校 編 かのう書房 1993.9
「アンニョンハセヨ韓国 : 女子高校生修学旅行記」 淑徳与野高等学校 編 千曲秀版社 1988.7
「女子高校生の見た韓国」 淑徳与野高等学校 編 星雲社 1987.3
これらにより、この高校がどういう意図を持って生徒を南朝鮮に連れて行ったかが理解できます。
私はこのうち手元に一番古い「女子高校生が見た韓国 淑徳与野高等学校」星雲社 昭和六十二年刊がありますので、以下はその本よりの引用とさせていただきます。
前文
「今なぜ韓国へ」
淑徳与野高等学校校長 川端幹夫
略)
国際教育のプログラムは、まず自分を知ること、日本とは、日本人とは何かを知り、同時に外国及び外国人のなんたるかを知る機会を持つことであります。
略)」
このように書く川端幹夫校長が、その修学旅行先に選んだ韓国へ行くために日本人とは何かを知るためにこの高等学校のやったこととは。
序章 韓国を知るために なぜ韓国 として
<現在の女子高生にとって、皆が皆、韓国は眷恋の国というわけではないであろう。韓国へ行くことが決定した後でも、ヨーロッパやアメリカに行きたいとか、ハワイでのんびりしたいとか、同じアジアなら中国がいい、などという声が聞かれた。だが、そういう声は隣国の国情を知り、日本人としての生き方を考える、という思想にかけていることを、彼女たちは事前学習を通じて学んでいった。>
p十二〜十三
その学んでいった事前学習とは
<事前学習を通して
ことに近代、終戦に至るまでの暗い不幸な関係の存在は、今更述べるまでもないだろう。
歴史を冷静に正確に高校生に教えることの重要性を私たちは、この旅行を通じて痛感した。不幸な時代があったことは決して忘れてはならない。だが、それにも増して重要なことは、二度と不幸を繰り返さないことである。隣人との関係がいかに大きいか、平和がいかに尊いか、在り来たりの表現しかできないが、私たちの事前学習は、まずここから入っていくことにした。
社会科、特に高一の現代社会と、高二の世界史では、韓国問題や日韓史を大きく取り上げた。世界史の中間テストの範囲が韓国史のみ、というようなこともあった。これでは食傷気味になるのではないか、と心配していた教師の不安も、しかし日が経つにつれて薄れてきた。>
p十五〜十六
<正直なところ、社会科の教師にとって、韓国旅行を目の前にして二学期初めに十時間ほど持った日韓関係史の事前学習のための授業は大変重苦しいものだった。
略)
生徒たちには「若い君たちには直接責任の無いことだけれども、君たちにつながっている大人たちや日本という国に責任があることだから辛くても引き受けなければならない。」と言うことだけだった。>
P八十
<ほとんどの生徒は過剰なほどに過去を意識している。「思い過ごしかもしれない」と思いながらも韓国の人々と触れ合うたびに意識し自分のアンテナを研ぎ澄ませている。その時に、「日韓併合」とか「朝鮮総督府」という言葉が彼女たちの韓国理解の鍵になっている。そういう言葉を通じて韓国の人々の背後にある悲しみや苦しみに共感しようとしている。>
p九一
生徒には朝鮮人・高史明が書いた『生きることの意味―ある少年のおいたち―』を資料のひとつとして読ませている。
この本も私の手元にないのでその内容はわかりませんが、「女子高校生が見た韓国」には編者の教師の言葉として下記のように書かれています。
<六十万人もの在日韓国人・朝鮮人と呼ばれる人たちは、そもそもどうして日本にやって来たのか、ーーーーーーーーそれは日韓併合によって強制的に連れてこられたのであったこと。貧しいために、あまりにも貧乏であるために、この著者が経験しなければならなかった数々の苦悩。>
p二十
このような嘘満載の本を読まされた生徒が洗脳されていくのは当たり前です。
このように気違い教師から洗脳教育を受けた女子高校生はどのようになったか。
<「また韓国か・・・」と言いながら受けた授業も、次第に先生の話によって自分の考え方を改めさんがえさせられました。「日韓併合」から三十六年間は、韓国人にとって地獄だったと言っても過言ではないと思います。多くの人々を苦しめた日本人。私たち日本人が、「韓国人なんか・・・・」などと言える立場にあるのでしょうか。(三原玲子)
一九四五年に日本が太平洋戦争に負けるまでの間・・・・随分長い間、日本は朝鮮を様々な形で苦しめ続けてきました。
「今の世代の人は、自然に振る舞えばいいのよ。」
と山本先生はおっしゃいましたが、やはり私たちは日本人。昔の日本人と同じ血が通っていることに変わりはないのです。(小池知子)>
p十六
<略)
昔は確かに日本は韓国にひどいことをしてきましたが、私たちが今後はそういうことを二度と繰り返さないように、韓国の人々と接していきたいと思います。
(工藤 綾子)>
P七十八
<韓国と日本は過去に悲しい経験を抱えています。だから「両国の関わりや歴史的な交流」などと身構えてしまうと気が引けて弱気になってしまいます。しかし、そこをあえて、私たちは韓国に行くんだから、勇気を持って現在の韓国を見てきたいと思います。
(石井こずえ)
P八十
<世界史で、日本と韓国の過去の関係について学び、日本の行った残酷な制度のことを今でも韓国人の八〇%近くは、日本のことをよく思っていないことを知っていました。
略)
釜山の金海空港に着くなり、韓国人の視線を感じました。この鈍い私でさへ、嫌というほど視線を感じるのです。おまけに初日からガイドさんに怒られ(これは人の話を聞かなかった私たちのほうが悪いのだが)、旅行が余計に不安になりました。しかし、ガイドさんたちは毎日私たちのために、どんなささやかな事柄も説明してくれました。そればかりでなく、私たちのことを自分の子供のように扱ってくれるのです。日本に恨みもあるでしょう。それなのに、私たちにとても優しい。「心の広い人だなあ」と感激し、嬉しく思いました。私は毎日ガイドさんの後にぴったりくっついて、一生懸命説明を聞こうと努力しました。そのおかげで、今までよりは、韓国のことを理解できたと思いますし、平和・豊かさ・自由など初めて感じ取ったような気がします。修学旅行に行って、私は心を改めさせられたような気がしました。本当に勉強になりました。
(打川明子)>
P八十四
<事前学習は「ため」になりました。韓国の人々の冷たい目の意味も日本が悪かったんだとすんなり思えたし、どう振る舞うべきかも分かりました。
ロッテデパートでの夕食の時、隣に座ったおじさんは、昔、東京に十年間暮らしていたそうです。日本語もさすがにお上手でした。その時ある日本人が料理が運ばれてくるのが遅いと騒いでいました。私たちが恥ずかしくなるくらいに・・・・そして、そのおじさんは少し席を外しました。今の日本をどう思ったのでしょう。おじさんは、きっと併合されて日本にやってきたのでしょう。今も昔と変わらず勝手だと、嫌な過去をまた思い出させてしまったことでしょう。
にこやかに話しかけてくれたのに、心の中ですみませんと謝りました。
(古旗千峯子)>
p八五〜八六
<事前学習によれば、韓国人の嫌いな国のトップとして日本が挙げられていました。私も日本人は韓国の人に対して憎まれても当然のことをしてきたと思っています。天馬塚で六十〜七十歳ぐらいのおばあさんに会いました。その人に私たちの話していることが分かったらしく、彼女は苦い経験のある日本語は使わなかったものの、にこやかに私に話しかけてきました。私は感動して、思わずおばあさんの手を強く握ってしまいました。(竹林左和子)>
p八七
<韓国人は日韓併合などで日本人のことはよく思っていないはずなのに、見学地などで会う人はみんな優しく接してくれました。ソウルで会ったおじさんは、日本語で日韓併合など昔のことを話してくれたりもしました。私の修学旅行の目的であった韓国へのイメージ転換は見事に成功しました。
(神保真由美)>
p八九
そして、旧総督府に南朝鮮国立博物館が移ったことを特集したNHKの番組を観せてもいる。そのことにより
<私が特に印象に残ったのは、景福宮と国立博物館。そこは、昔の朝鮮総督府でした。ビデオを使った授業で習ったように総督府の建物は景福宮を隠すようにでんと立っていました。昔の日本人の浅ましい考えの結果、そのように建てられらと思いました。日本が戦争に負け、総督府を壊せという意見が多かった中で、それを壊さず、博物館として中を公開する韓国の人々の心が伝わるようでした。
(遊馬准子)
以前日本の総督府だった国立博物館は立派でしたが、あんな大きなものを王宮の前に建てられた時の韓国の人々の気持ちはとても悔しかったでしょう。そして人は、その時の勢いや雰囲気であんないやらしいことをするなんて。それが、しかも日本人なんて、複雑な気持ちがします。
(大室明子)>
P九二
アホな朝鮮人はその立派な総督府をぶっ潰したのです。
<韓国は日本と似ていると言ってもやっぱり外国です。日本と違って当然です。韓国は北朝鮮との関係や、不幸な歴史があり、本当に気の毒な国だと思います。そしてそのほとんどが日本に原因であることは残念なことだと思いました。今後の日本は韓国に対してどうあるべきかを考え、それを実行していくのは私たちの世代なのです。この旅行を通して真実を知り、そして韓国という国を大まかにではあるが実際に見てこられたということは素晴らしいことでした。
(岡村絵美子)
やはり、ガイドさんの軍事境界線へ行く途中の説明にはショックを受けずには入られませんでした。そしてまたショックだったのは、日本が後一週間早く戦争を止めていれば南北に分断されることはなかったということでした。それでは日本は朝鮮半島を三十五年間苦しめた上、今なお苦しめ続けているのか、そう考えて、また心が沈みました。
(菅原玲恵)>
P一三二
<そして腹立たしさは私の祖国日本に対してでもあり、ソ連、アメリカに対してでもあります。日本は何の罪もない朝鮮を占領し、人々を苦しめました。
(広瀬友美)>
P一三三
アホな朝鮮人ガイドによる洗脳について
<韓国人ガイドさんたちの人柄、個性がそのまま韓国の最初のイメージになった。四十代から五十歳前後の、生徒から見ればちょうど「お母さん」のような存在の方がほとんどである。皆素晴らしい方ばかりである。
略)
旅行後の生徒の感想の中には、ガイドさんたちの知識の深さに感心し、自分の日本史の教養のなさを恥じているものも幾つかある。
略)
修学旅行も残すところ一日となると、ガイドさんとも大変親しくなる。生徒に向かって「こう言う話は日本人にはしないのですが・・・」と李徳淑さんが切り出した。
「アリランの歌を皆さん知っているでしょう。日本人の観光客にも必ず教えるような韓国を代表する民謡です。しかし戦前韓国が日本の支配下にあった時、この歌を口ずさんだだけで韓国人は牢屋にぶち込まれたんです」
バスの中は物音ひとつしない。エンジンの音とソウルの街の喧騒だけが遠く聞こえる。「皆さんが事前学習からずっと一生懸命韓国のことを勉強しているから話すのですよ」と李さんが最後に付け加えた。>
p九五〜九七
この梨花女子大卒業という李徳淑というババアが言ったことは本当であろうか。
答えは大嘘である。当たり前である。誰でもわかる朝鮮人のいう大嘘さへ本当と思う阿呆ども。
我が国が併合中に「アリラン」という映画が作られている。併合後十六年経った一九二六年十月のことである。
アリラン物語
http://www.47news.jp/47topics/arirang/1.html
そして、その「アリラン」が上映された時に
<「主人公が去っていくシーンは、今でもはっきり覚えている。すすり泣く声があちこちから聞こえ、観客全員でアリランの大合唱になった」>
http://www.47news.jp/47topics/arirang/3.html
それだけでなく、下記のようにも書かれている。
<植民地朝鮮との「内鮮一体」を推し進めた戦前の日本にもアリランは広まった。山梨学院大教授、宮塚利雄(みやつか・としお)(63)によると、植民地時代に日本に渡ってきた朝鮮人によって伝えられ、レコード化も進み、朝鮮民謡として広く知られるようになった。
古賀政男(こが・まさお)の編曲で淡谷のり子(あわや・のりこ)と朝鮮人歌手蔡奎/ヨウ/(チェ・ギュヨプ)(日本名長谷川一郎(はせがわ・いちろう))がデュエットした「アリランの唄」をはじめ「アリラン」と名の付くレコードが数十種類も発売された。「当時の日本人にとって異国情緒を感じさせるものでもあり、朝鮮を知るキーワードのような存在だったのではないか」と宮塚>
http://www.47news.jp/47topics/arirang/4.html
つまり、この朝鮮人ガイドは朝鮮人の国技の一つである嘘を平気でほざく厚顔無恥のいかにも朝鮮人らしい人間のクズだったということです。
その人間のクズの嘘に事前学習という洗脳教育を受けた日本人女子生徒どもが騙されただけです。
このどうしようもない日本人として人間のクズを作る教育をやってこられた素晴らしい先生方のお名前は判明している方として、
淑徳与野高等学校
校長 川端幹夫
副校長 砂田芳宏
修学旅行学習担当 渋沢俊治 中島敦史
だそうです。
こんな教師に洗脳された女子生徒はすぐに朝鮮カルトの統一教会の信者になり、南朝鮮で死ぬまでこき使われるか、せっせと死ぬまで貢物を朝鮮人に喜んで差し出す一生を送ることになりやすいでしょう。
「女子高校生が見た韓国 淑徳与野高等学校」星雲社 昭和六十二年刊
淑徳与野高等学校編
アホらし
めちゃ暇。
今日は飲まず。
さっさと帰る。
サルでもエビでもない。