ガマ
Posted in 日記
3月7日月曜日曇り◯
朝起きて、ホテルでのレストランで名古屋めし朝食。
名古屋駅まで醴泉の山田社長に送っていただき東京へ。
神楽坂に降りて、ゾウさん公園を通るとガマが出迎えてくれました。
でも、お前起きてくるのちょっと早くないか?
店に寄ったのち、帰宅。
その後、ちょっと飲みたくなりご近所の店で軽く一杯。
まあ、私みたいに気楽に生きてても色々と考えさせられることがあります。
今回の旅行は今まで見えなかったものが、見えて来たものもありそういう意味では良かったのかも。
昨夜は行かれへんのに電話してすまんかったです。ガマには思い出があるのでこの欄からコメントします。
田母神さんは元気やった。昨日は、西の大阪地検特捜部と戦った西村と東の東京地検特捜部と戦っている田母神が一堂に会した訳や。意気軒昂で勃起しなくてどうする、というところ。
結論は、これは官邸主導の国策捜査で、目的は田母神を立候補不能にすること。
そして、田母ちゃんは、一通の調書にも署名していない。これを聞いて安心した。
検察は自信をなくしつつある。よって、田母ちゃんに、あいつら上司の顔色を窺って仕事をする小心もののインぽや、一昨日のようにマスコミに「冤罪だ」と言い続けてくれ、国策捜査だとマスコミに言い続けてくれと言っておいた。
田母ちゃん元気だった。
しかし、さすがに家にはやく帰りたおうだったので8時過ぎに分かれて小生は新幹線で大阪に向かい、田母ちゃんは世田谷の家に向かった。
さて、ガマのこと。小生の小さい頃、家の庭にガマの夫婦が住んでいて、しめった日には、二匹そろって家の窓の方を向いて座っていた。また、近くにガマを桶に入れて飼っているお百姓のお祖父さんがいて、蠅を捕ってガマに食べさせていた。
そこで、大学の頃、大文字山麓の寮に住んでいるとき、一年先輩に産経新聞の論説委員長をした皿木喜久がいた。ある時、彼がカエルが大嫌いで、カエルを見れば怖がる男であることが分かった。その数日後、大文字山麓を歩いていると、ガマが出てきて挨拶しよった。そこで、そのガマをポケットに入れて寮に帰り、寝いている皿木の顔に乗せた。すると、彼、聞いたこともない悲鳴を上げて気絶寸前になった。
それから、そのガマに、ごくろうさんと言って、近くの藪に放したった。
それ以降、皿木は69歳になってもガマの恨みを言いよる。
以上、ガマを見れば思い出す話。店の近くのガマによろしく。
酒たまねぎやで飲める日を楽しみにしています。
お体をご自愛ください。
西村眞悟先生
お忙しい中、お電話いただき、また、わざわざ書き込みまでしていただきありがとうございます。
田母神閣下と一緒に飲める機会を楽しみに致しております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。