二人のヒーロー 中川尋史空将補 門屋義廣一等空佐

二人のヒーローそして二つの墜落
平成20年11月22日土曜日晴れ × 追記平成27年11月22日日曜日曇り
週刊新潮に「墓碑名」というコーナーがあります。手元にある平成二〇年に発売された週刊新潮(一月十七日号)のこのコーナーは土志田勇さんという方でした。私は存じませんでしたが、昭和五二年九月二七日午後一時二〇分頃に、厚木基地から空母ミッドウエーに向かっていた米軍戦闘機ファントムが横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落。この土志田勇さんの長女の和枝さんと幼子の裕一郎ちゃん(三歳)は「お水をちょうだい。」といって、半日後になくなり、次男、康弘ちゃん(一歳)は覚えたばかりの鳩ポッポの歌を力なく口ずさみ息を引き取ったそうです。母親の和枝さんも壮絶な闘病に耐えていたが、お子さん二人の死を知らされた後、昭和五七年一月に呼吸困難により御亡くなりになる。
その後、土志田勇さんは事故の記録を残す事と母子像を建てる事、福祉の仕事をする事を目標にして生きたそうで、「港の見える公園」に母子像を建てられ、六〇歳を過ぎてから福祉関係の資格を取得し、社会福祉法人を立ち上げ、知的障害者を支援する授産施設、ハーブ園、保育園の開設に力を尽くしたそうですが、一月三日に八十三歳でお亡くなりになったそうです。
米軍のファントムと同じように搭乗機のトラブルにより墜落した自衛隊機があります。
平成十一年十一月二十二日午後一時四五分ごろ東京都練馬区、世田谷区、港区、中央区、多摩地域、埼玉県狭山市、入間市、川越市、所沢市の一部など広範囲にわたり停電した。この時、約八〇万世帯が停電したとされる。
これは入間基地所属の自衛隊機が狭山市の柏原地区に墜落して送電線と避雷線の計5本に接触、切断によるものであった。

平成十一年十一月二十二日午後一時二分入間基地を離陸した同基地の航空総隊司令部飛行隊に所属する旧式練習機T33(51-5648)が、訓練を終え帰路についた一時三八分に「マイナートラブル」と無線連絡をし、一時三九分振動、オイル臭等連絡。管制塔からの照会に対し「コクピットスモーク」。続いて一時四十分「エマージェンシー(緊急事態)」を宣言。一時四十二分十四秒「ベール・アウト(緊急脱出)」、一時四二分二七秒再度「ベール・アウト(緊急脱出)」と通報。練習機が高圧送電線のグラウンドワイヤー(接地線)に接触する直前(後席)・直後(前席)に緊急脱出したが一人はパラシュートが全く開かず地上に激突し、もう一人も半開きのまま墜落し、お二人ともお亡くなりになりました。無理な態勢からの脱出で衝撃に身体が耐えられなかったためだそうです。

中川尋史二等空佐と門屋義廣三等空佐、それぞれ飛行時間が五二二八時間、六四九二時間という熟練パイロットである。
この飛行機の場合、パイロットと同乗員が脱出して無事生還できる限界の高度はおよそ六〇〇m。仮に練習機が高度三〇〇〇mの上空を飛行中に故障が起きたとすると、高度六〇〇mまで降下する間に脱出すればよいということです。もちろん、飛行技術にも飛行機そのものにも精通していた二人の自衛官はそのことをよく承知していたはずで、この高度で脱出すれば二人は助かり、事故が原因である以上その行為の結果責任が問われることもなかったでしょう。
しかし、今回の事故の場合、彼らの眼下には住宅や商店の建て込む地域が広がっていて、高度六〇〇mで脱出する、つまりその時点で練習機のその後のコントロールを放棄するということは、簡単ではなかったのだと思います。結局、練習機は高度九〇mという墜落ぎりぎりのところまでコントロールされ、入間川上を通る二七万五〇〇〇ボルト高圧電線を切断して首都圏に大規模な停電を発生させたものの、民間の生命財産に重大な被害をもたらすということは何とか回避できました。

この年の四月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果によると、パイロットは「ベール・アウト」を通報した後、十三秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいたことについて、航空自衛隊関係者は「いったん脱出しようとしたが、さらにもうちょっと頑張ろうとしたためではないか」と。

その十三秒間をお二人が命をかけて操縦した機体は墜落現場の河川敷の北側にひろがる狭山ニュータウンの住宅地をさけて、なんとか河川敷のリバーサイドゴルフ場コース内に墜ち犠牲者は彼ら二人だけで済んだ。

ジェット機が住宅地に落ちれば、この時の大停電どころではなかったでしょう。二人は己自身にせまりくる死の恐怖よりも自衛官として「なすべきこと」を貫いたわけです。自分自身の生命をかけて・・・・・
防衛庁によれば、「緊急脱出の場合、地上に被害が及ばないように、機体を制御してから脱出するよう求めている」というこれは、自衛隊員は入隊するときに『国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する』という誓約をし、そして隊員になります。その誓約をしっかり守った航空自衛隊のすばらしい隊員が二人いたことを我々は誇りにすべきです。

この崇高なお二人の自衛官の事を書かれた狭山ヶ岡高等学校校長の小川義男先生は
「愛の対象を家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を英雄と呼ぶのです」
とおっしゃっています。

その小川先生の書かれた文章を田村秀昭議員、西村眞悟議員が翌年の国会にて取り上げて発言いたしております。

平成十二年四月十三日におこなわれた第147回国会 安全保障委員会
防衛庁長官瓦力。ちなみにこの時の外務大臣はあの腐れ売国奴である河野洋平
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001514720000413003.htm
以下引用
○西村(眞)委員 先ほど来、T33Aの事故のことについての質問がありましたけれども、私はここで、今や物言わなくなった二人のパイロット、それは中川尋史一等空佐、四十七歳、門屋義広二等空佐、四十八歳の心情に観点を当てて、質問というよりも、議事録にとどめておきたいと思います。
さて、この問題については、参議院での長官また政務次官の御答弁を拝見いたしました。しかし、私は、教育者がこの問題の本質をいち早く自分の生徒たちに伝えたということを御報告したい。それは、この問題の本質が広く国民の精神、教育のあり方にあるのをいち早く直観的に認めたのはこの校長先生だったと思うからです。
すなわち、狭山ケ丘高校の校長先生である小川義男先生、この方が事故当日、近くを車で走っておった。直ちに現場に駆けつけた。そして、彼らは脱出できたのにもかかわらず、なぜ、河川敷まで持っていき、そしてもう助からないところまで来て脱出して、結局助からなかったということを、事実を書きました。
「死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。」というふうに生徒に対する通信で書いておるわけです。それから、時間がありませんので要約しますと、「母は我が子のために、父は家族のために命を投げ出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。」そして、この先生は、受験勉強で忙しい高校三年生に対して、「これは自分のためではなく、公のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!」ということで結んでおります。
私は、先ほど来の質問で、いろいろな人間の組織でありますから、不祥事と称するものの質問をはたで聞いておりましたが、その組織にあって、みずからの命を捨てて、民家の上空ではなくて河川敷に持っていったこの二人の方は英雄だと思います。この校長先生と同じ意見です。
このことについては大臣も御同感だと思います。彼らは我が国家の英雄である、教科書に取り上げても恥ずかしくない勇士であるという私の意見については、長官も同様でしょうが、一言、御答弁いただければと思います。
○瓦国務大臣 ただいま西村委員のお述べになりましたT33墜落事故、私も記憶に新しいところであり、この悲惨な事故のときの長官でございますから、彼らの心情を察するときに、人家を避け、そして最小の被害にとどめようということで身をもって河川にまで向かったもの、かように理解するわけでありまして、その崇高な志に対しまして、心から弔意を表しておるところであります。
以上をもちまして、御理解を賜りたいと思います。
○西村(眞)委員 そのとおりであります。私もそのように思います。
それで、これはお願いでございますが、例えば、佐々木委員が先ほど言ったように、条件もいろいろあります。しかし、彼らはその条件の中で黙って訓練せねばならないのです。その彼らが黙ってする訓練の条件を整えるのは、単なる防衛庁長官の職務ではなくて、ここで質問をしている我々全体の一つの責務であろう、このように思います。
それから、例えば、防衛行動というのは攻めてくる敵を撃退して排除すること、非常に過酷なことです。したがって、それに備える平時の訓練も過酷にならざるを得ない。したがって、やはり殉職者が出る、英雄が出る。そのときに、アメリカでは、その遺族のお子さんを優先的に陸軍士官学校なりそういうところに入学せしめる制度、また、その御遺族が生涯生活に困らないような制度を持っておる。我が国も、どうか、そのことを早急に整備しなければならない、このように思っております。
最後に、これは質問ではありません。先ほどこの行為の本質をいち早く見抜いた方が教育者である、そして彼が人間愛というふうな人間が当然持っている心情の中でこの二人のパイロットの行為を位置づけたので、私も、戦後我々が持っている人間愛に対する一つの偏見、つまり、国家を愛するということが何か人間愛とは別の次元であるというふうな風潮があることについて、そうではないんだという一文を紹介して終わりたい。
これは、この校長先生の先ほど読み上げたようなものを読みまして、私がふっと読んでいたら、二千四十四年前のキケロというローマの政治家が書いた文章に行き当たった。
あらゆる人間愛のなかでも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは、祖国に対する愛である。父母への愛の大切さは言うをまたないくらい当然であり、息子や娘たち、親族兄弟、そして友人達への愛も、親愛の情を恵んでくれることで、人間にとって大切な愛であることは誰でも知っている。
だが、これら総ての愛ですらも、祖国への愛に含み込まれるものなのだ。
祖国が必要とするならば、そしてその為に君に立って欲しいと求めるならば、祖国に一命を捧げることに迷う市民はいないであろう
これはくしくもこの二人のパイロットが持っていた心情と同じことを二千四十四年前に書いているわけですね。
我々が家族に対する愛や友人に対する愛を大切だとは教えているのですが、それらをすべて包み込んで位置づけを与えるものが祖国に対する愛であるということを教えなかったがゆえに、実は親兄弟に対する愛も我が日本では位置づけができずに漂流し始めている、これが学校の荒廃の一因ではないかと私は思っております。御見解をお伺いする時間がありそうですから、どうですか。
私は申し上げたいだけですからこれで結構ですけれども、どうかこれは胸に刻んでおいていただきたい。そして、中村鋭一委員が先ほど国防省のことを聞きましたね。こういう部下を持っている長官はやはり、この政治の状況でお答えいただきませんが、国防省は当然名誉を与えるものとしての長官の責務である。この不作為の構造こそ、我々はこの政治の中で共同して排除していくというか、変革していかねばならないものであるということを問題意識として刻んでいただければありがたい、このように思っておりますので、どうかよろしくお願いします。質問を終わります。
引用終わり

ちなみに、この時に共産党の佐々木陸海議員は同じ自衛隊機の墜落についてはただ政府の責任を追求しただけでした。同じく売国奴の辻元清美女史は、石原都知事の「三国人発言」を追求しただけでした。

同じく田村秀昭議員がお二人について
参議院会議録情報 第147回国会 予算委員会 第13号
平成十二年三月十七日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/147/0014/14703170014013c.html
○田村秀昭君
略)
昨年の十一月二十二日に、航空自衛隊のT33ジェット練習機が空中で故障いたしまして、市街地を全部避けて、脱出するチャンスもありましたけれども、市街地を避けて入間川の河川敷に着陸をして、着陸というか墜落をして、乗員二名が殉職をいたしました。
その近くに、この犠牲的精神に非常に感動した近くの狭山ケ丘高校の学校長の小川義男先生というのが学校通信の「藤棚」というのにその感動した文章を載せております。それで、高校三年生に、これを皆さんもそういう人間になれということを言っております。私は非常に感動を覚えた次第でございますが、マスコミはこういうのを全然取り上げていない、悪いことばかりやっているけれども。
総理の御所見を賜りたいと思います。
○国務大臣(小渕恵三君) 狭山ケ丘高校の小川校長が書かれました文章におきまして、民家や学校への被害を避けるため、二名のパイロットは十分な高度での脱出をみずから選ばなかったとして、パイロットの行為を「犠牲的精神」、「英雄的死」という言葉で高く評価していただいており、大変ありがたく感じております。
昨年十一月に発生いたしましたT33A型機墜落事故の原因等の究明については、今後の事故調査の結果を待つ必要があるものの、パイロット二名はともにベテランであり、緊急事態発生後直ちに脱出すればみずからの生命を確保し得る機会があったにもかかわらず、人家等の被害を回避すべく最大限の努力を行い、その結果脱出時期がおくれ、とうとい命を犠牲にしたものと考えることができるところであります。
被害の局限を図ろうとした結果殉職した二名のパイロット、中川尋史一等空佐及び門屋義弘二等空佐に対しては、改めて敬意と哀悼の意を表したいと思います。
防衛庁としては、今回の事故により多数の方々に御迷惑をかけたことを踏まえ、事故原因等について明らかにするとともに、二度とこのような事故が起こることのないよう安全確保に万全を期してまいりたい、こう考えております。
私も、事故が起きました直後、あの河原に最終的には墜落をされたわけでありますが、その間、機体の大変状況の悪いのがわかりまして以降パイロットがどのようにこれを着地せしむるかというようなこと、想像するに非常な困難の中で対処したものと考えますが、今申し上げましたように、恐らく被害を最小限にとどめなきゃならぬということで大変低いところまで機を操縦してきたということが結果的に二人の貴重なパイロットの命を失ったということでありますが、同時に、そのことによりまして被害が少なくとも国民、人家に及ぶというようなことを避け得たということも、それは自衛隊員としての責任をある意味では全うしようという崇高な精神に基づくものだと思っております。
申し上げたように事故は大変残念でありましたけれども、こうしたことが起こりませんように自衛隊としても政府としても、今後とも一生懸命になって事故が起こり得ない、そしてこうした悲劇が二度と起こらないことのために努力をいたさなきゃならぬということを痛切に感じておる次第でございます。
○田村秀昭君 警察の現場も自衛隊の現場も命がけで日本の治安と防衛のために尽くしております。今、いろいろな不祥事が起きて非常に士気が低下しております。士気を高揚させるのは政治の責任であり、最高指揮官の責任だと思いますが、御所見を賜りたいと思います。
○国務大臣(小渕恵三君) 我が国の安全と国民の生命、財産を預かる最高の責任者として、その責任を深く痛感し、誤りなきを期していきたい、その気持ちはますます強いものがあるつもりでございます。
○田村秀昭君 ぜひ隊員の士気を、警察官も含めまして、ぜひお願いしたいと思います。

参議院会議録情報 第147回国会 外交・防衛委員会 第3号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/147/0005/14703140005003c.html
平成十二年三月十四日(火曜日)
以下引用
○田村秀昭君 昨年の十一月二十二日に、中川一佐と門屋二佐が入間川の河川敷で市街地を避けて殉職をされた事件がありました。他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神は何と崇高なことかというような文章を、埼玉県の入間基地の近くにある狭山ケ丘高校の学校長の小川義男さんという人が「藤棚」という学校通信に、人間を矮小化してはならないという文章を高校三年生に出しております。これは、防衛庁長官のお話の中で事故の陳謝しかしていない、こういう自衛隊員の行動に対してみずからの命を犠牲にしたことはわかってやっていただきたいというようなことをなぜ言えなかったのかというような文章が書かれております。
防衛庁長官は、かつて六十三年の七月二十三日に「なだしお」事件という潜水艦と釣り船の事故がありました。それで、長官は責任をとられて辞任をされております。隊員からも大変尊敬を受けている防衛庁長官だと私は認識しておりますが、マスコミが多分そういうことを書かなかったんではないかと。長官はいろいろなところでおっしゃっているかもしれないけれども、この学校の先生には伝わってないということであります。
それで、私が本日申し上げたいことは、こういう現場で命をかけて守っている人たち、これは警察官もそうです、今不祥事があるかもしれませんが、現場のお巡りさん、消防士、みんな現場の人たちは命をかけて自分の任務を遂行している。そういうときにいろいろな不祥事件が起きて、その人たちの士気が非常に下がっているということは、これは政治がきちっとしないといけないんではないかと私は思うんです。
そういうことが起きたらみんな、警察はだめで、防衛庁も自衛隊も全部だめで、消防署もみんなだめなのかどうか、政治が明確に判断しなきゃいけない。今、夜歩いて日本は治安が悪いですか、悪くないじゃないですか。それは命がけでそういう犯罪を、自分の命をかけて守っている警察官がいるからなんですよ。自衛隊もそうなんです。だから健全であるということですよ。そこを取り違えて、管区警察局長がおやめになりましたね。あの人も私が聞いている限り非常に部下思いの人だったというふうに聞いております。依田先生は警察だからよくおわかりになっている。そういうのがマスコミの書き方によって離職している、やめさせていると。何でやめさせなきゃいけないんですか。今、警察は治安を維持することですよ。国民が安心して夜中歩けるようなそういう町づくりをすることじゃないんですか。市街地を避けて自分の命を落としているパイロットがきちっといるんですよ。
だから、ちょっとしたことが起きると、そこにわっと、新聞に書かれたことを政治家が一生懸命質問して、本当の姿が見失われるんじゃないかと私は思うんです。そういうことを防衛庁長官はきちっと言っていただきたい。外務大臣もきちっと言っていただきたい。そうしないと、日本の国はおかしくなりますよ。
ここにも書かれているように「自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに」、矮小化というのはどういうことかと言いますと、「つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶めようとする文化が今日専らです。」と、こうつけ加えております。これは、僕が言っているんじゃないんですよ。学校長が言っているんですよ。すばらしい学校長だと思います。
それで、その人に僕は電話をかけて、あなたはすばらしいねって言ったら、こういう本を送ってきた。「学校崩壊なんかさせるか」。善悪の区別、伝統の美点、国の誇りを信念を持って教え得る人が教師でなければならない。この小川さんというのは、そういう教師なんだ。
こういうものをアメリカが占領政策で全部なくそうとしたわけですよ。それでもなおかつ我が国にはこういう命をかけて他人のために犠牲になろうとする人がいる。それが今一番我が国に欠けている点じゃないんでしょうかねと僕は思うんですよ。
だから、こういう者を普通の殉職者扱いになぜするんですか。一階級特進でしょう、この中川君にしても。普通だったら金鵄勲章ですよ、こういうの、あればですよ、今ないからね。だから、一部の不祥事件に目をとられて、それで本当に一生懸命やっている人たちが士気をなくすようなことは、これはマスコミはいいけれども、政治家はしちゃだめだと私は思いますよ。
そういう件について、防衛庁長官と外務大臣の御所見を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
○国務大臣(瓦力君) 田村委員から、御所見をお述べになりながら幾つかの点につきましてお尋ねをちょうだいいたしました。
私に対しましてといいますか、昨年十一月二十二日にとうとい自衛官の殉職があったわけでございますが、そのことに触れまして三点かと思うわけでございます。
一つは、狭山ヶ丘高校校長の文書を読んで、長官としての所感を伺いたいということであり、もう一点は、事故を避けて殉職した隊員に対するいたわりの言葉がなかったではないかというようなことに触れ、さらに、犠牲的なこの殉職者の二名に対しまして、一階級特進という普通の扱いでは手厚く処遇するということにはならないということの三点かと思うわけでございます。
累次お答えをしてまいりたいと思いますが、狭山ヶ丘高校の校長の書かれた文書につきまして触れますと、民家や学校への被害を避けるため、二名のパイロットは十分な高度での脱出をみずから選ばなかった。パイロットの行為を犠牲的精神、英雄的死という言葉で高く評価していただいております。大変ありがたいと思っております。
このT33A型機の墜落事故の原因等の究明につきましては現在なお続いておりまして、若干日時をおかりいたすわけでございますが、間もなく原因究明を終えて発表できる段階に至ろうかと思うわけでございます。私はこの段階を経てまた所感を述べることが、お許しがあればさせていただきたいと思っておりますが、確かに人家等への被害を回避すべく最大限の努力を行いまして、その結果脱出時期がおくれ、とうとい命を犠牲にしたものと考えております。こういう意味で、結局殉死した二名のパイロット、中川尋史一等空佐及び門屋義廣二等空佐に対しまして、改めて敬意と哀悼の意を表したいと思っております。
防衛庁といたしましても、二度とこのような事故が起きることのないよう、安全管理につきましても万全を期してまいりたいと、かように考えております。それにいたしましても、避けることのできない必死の覚悟の仕事であったというぐあいに評価をさせていただいておるわけであります。
なお、この殉職した隊員に対するいたわりの言葉がなかったではないかということでございまして、私はこう述べましたということは申し上げるまでもございませんが、当日の記者会見を通じまして、実は痛ましい二名の隊員に対しまして哀悼の意を表したところでございますが、それぞれ記者といたしましては、限られた紙面であり、限られた時間内でありますので、それらのことにはお触れいただくことがなかったわけでございますが、私としては大変この二名の得がたい覚悟というものを今日なお評価をさせていただいておるわけであります。改めて哀悼の意を表させていただきたいと思っております。
なお、さらに細部にわたります感想につきましては、今事故調査報告書、最終的な段階でございますので、私といたしますれば現段階のコメントはなるべく避けさせていただきたい、かように思っております。
加えて、委員から特進の点につきましてもお触れをいただいております。
自衛官が公務遂行中死亡した場合、当該隊員に故意の犯罪行為または重大な過失がないと認められるときは、通常一階級上位に特別昇任させております。また、二階級上位の階級への特別昇任につきましては、二佐以下の自衛官で、治安出動、海上警備行動、災害派遣、対領空侵犯措置、国際平和協力業務等で特に困難な状況において当該業務に従事することにより死亡または重度の心身障害の状態となった者を対象としておるわけでございます。
今回の事故は、年間飛行訓練を実施し、入間基地への帰投中の事故であり、公務上の負傷により死亡した事故であって、また現時点で事故機の搭乗者に故意の犯罪行為または重大な過失を認められないことから、特別昇任の対象となるものではございますが、今回の事故はパイロットの技量を維持するための通常の年間飛行訓練であり、治安出動、海上警備行動、災害派遣、対領空侵犯措置、国際平和協力業務等に相当するような業務とは言えませんが、しかし防衛庁としては、現在、事故原因等について鋭意調査をいたしておりますところであり、業務の遂行中、他者からの攻撃とか厳しい気象条件下で行動せざるを得ないといったような特に困難な状況に相当するか否かについては、事故調査報告の結果を得てさらに精査する必要があることから、とりあえず従来の例に従いまして、殉職者二名をそれぞれ一階級上位の階級に特別昇任させたものでございます。
以上、申し上げた諸点について委員の御理解を得ておきたいと思います。
○国務大臣(河野洋平君) 人の命のために自分の命を捨てるということは、どんなに表現しようとしても表現し切れないほどの大きなことだと思います。心から敬意と哀悼の意を表したいと思います。
恐らくお二人の方にも愛する御家族もおられたに違いない、そうしたことを考えるにつけて本当に痛ましいことでもありますし、そのことがお二人の、仕事上の魂といいますか、そういうものがなせるとっさの判断であったんだろうと思います。
考えてみると、現在、我々は平穏な社会で生活を送っておりますけれども、見えないところで深夜あるいは早朝から、社会の仕組みを守ってくださる多くの方々がいらっしゃるということに常に感謝の気持ちを持ちながら、できるだけ善意を持ってこの社会を生きていきたいというふうに思っております。
○田村秀昭君 終わります。

引用終わり

その事件があった時、自治体である埼玉県と狭山市は自衛隊に抗議をしただけで、お二人に対する感謝の言葉は何もありませんでした。瓦力防衛庁長官も新聞、テレビなどの報道関係もお二人の英雄的行為には何も触れないどころか、自衛隊に対して冷たい扱いでしたが、シンガポールの高級紙
Strait Timesは一面ではなかったが 見開き二面を使って写真入りで事件を詳細に報じていた。
特組み活字の表題は「Hero!」

先に引用させていただいた田村秀昭議員などの強い要請により、後に日本政府は二人の崇高な行為に二階級特進をもって報いた。
(一階級昇進ですまそうとしていたのは、平成十二年三月十四日に開かれた参議院会議録情報
第一四七回国会 外交・防衛委員会 第三号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/147/0005/14703140005003c.html
においての瓦力防衛庁長官の発言でもあきらかである。こんな人間が防衛庁長官だと自衛隊の志気も下がるというものである。)

中川 尋史(なかがわ,ひろふみ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十七歳
長崎県出身 自衛官 航空自衛隊 F-1支援戦闘機パイロット
航空学生二十八期
十一月二十二日付で空将補に特別昇進 第一級賞詞

門屋 義廣(かどやよしひろ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十八歳
愛媛県出身 自衛官 航空自衛隊 F-15J戦闘機パイロット
航空学生25期
十一月二十二日付で一等空佐に特別昇進 第一級賞詞

日本財団賞受賞
平成12年度  第一部門(緊急時の功績・日本財団賞)
功 績 内 容
平成11年11月22日、航空自衛隊ジェット練習機による飛行訓練を終えて埼玉県入間基地に向けて帰投中、機にトラブルが発生し、振動、発煙、急激な高度低下が起こった。両氏は、安全に脱出する機会があったにも拘わらず、機の墜落による民家や公共施設への被害を最小限に食い止めるため、比較的安全と考えられる河川敷上空まで操縦を継続された。この結果、安全に脱出できる高度以下となり、機から脱出されたものの、惜しくも殉職された。
(推薦者 (財)日本顕彰会 事務局)

小川義男先生というすばらしい教育者のお書きになった文章により、お二人は正当な評価を得る事ができました。しかし、マスコミはこの事を報道する事はほとんどありません。

下記の故吉田茂氏の言葉が、我が国の歪さをよく表しています。
吉田茂
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。

きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
(昭和三二年二月、防衛大学第一回卒業式にて)

世界中の何処の国においても、国を命をかけて守っている自国の軍人を尊敬しない国民はありません。制服で入るとレストランでも一番の席に案内されます。普通の国に早くなってほしいものです。

今日は「酒たまねぎや飲んべえの会・醴泉」

明日休みだし飲むぞ〜