今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その十一
今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その十一
8月20日木曜日晴れ△
六、略
<七、戦中の特高警察の流れを汲む反共謀略組織の代弁者の疑い
秦氏の著作には、研究者とは思えない杜撰な叙述がある一方、公安警察など、反共謀略組織しかわからないような吉田氏の経歴について、不自然に詳細な暴露がある。
それをよく示しているのが、二百四十五ページに掲載された「吉田清治の証言――虚と実の比較」と題した十三項目の一覧表である。
左の「本人の陳述」という項目をみよう。一、氏名、二、生年月日、三、本籍地、四、学歴(A)、五、学歴(B)、六、職歴(A)、七、職歴(B)、八、金永達、九、入獄、十、結婚、十一、労務報国会、十二、済州島の慰安婦狩り、十三、戦後の略歴。
右に「実際」とあって、左の「本人の陳述」の真偽が書かれている。
問題なのは、十一と十二を除き、あとの十一項目が吉田氏のプライバシーに属するものであることだ。それを秦氏は「嘘で固めたライフ・ヒストーリー」といいながら、プライバシーを暴こうとしている(P二百四十三2~)。
この姿勢に大変な違和感を持つのは、私だけであろうか。
「吉田証言」の信ぴょう性を検証するなら、何はさておき、その核心である南朝鮮での従軍慰安婦狩りの事実こそ、調査すべきであろう。秦氏の「研究」は、そうした現地調査は適当に済ませて、そのエネルギーのほとんどを、吉田氏の身辺調査にあてている。何のための調査なのだろう。
十一項目のプライバシーにかかわる経歴の中で、事実と違うと確認されているのは、一、氏名、三、本籍地、四、金永達、十結婚の四つだけ。氏名はペンネームなので、それがウソだと言っても意味がない。本名をなぜ、暴かなければならないのか。本籍地が山口県とある(吉田氏の著作『朝鮮人慰安婦と日本人』P十九)のに、本当は福岡県だったというのも、ペンネームを使った趣旨からいって、本人が隠そうとしているものであり、それをどんな調査をしたのかはわからないが、本人に了解もなく暴いている。吉田氏の同上の著作に出てくる金永達氏についても、本名を暴露したりする目的がわからない。同様な朝鮮人を養子にしていることが確認されただけでも、吉田氏の著作の信ぴょう性は高い。吉田氏の結婚の時期が、数カ月ずれているというのも、どうでもいい枝葉末節のことである。
吉田氏は2作目の著作『私の戦争犯罪』の「まえがき」で次のように書いている。「私のこの記録は、四十年近い過去の事実を、現在まだ生きている当時の部下たち数人と何回か語り合って思い出したり、現地から亡妻や親戚友人たちへ、労務報国精神を誇示して書き送っていた私の手紙を回収したりして、記憶を確かめながら書いたものである」(P四)。また、最後の章の末尾の「付記」には「文中の氏名は、本人や遺族から公表することを拒否され、すべて仮名にしました」と書かれている。
こうした断り書きを吉田氏がしたのは、吉田氏以外の関係者は、証言や事実を公表されるのを嫌がっていたということを示している。
それはなぜか。秦氏の著作にも、それが書かれているではないか。「(裏づけをとりたいので、旧部下の誰かを紹介してくれとの秦氏の要求に)この本を書く時、十人ぐらいの旧部下に一緒に書こうと誘ったが、怖がって断られた。それで二、三人に話を確かめたのち、私一
人の本として出したのだ。絶対に教えられない」と吉田氏は答えている。
吉田氏は、旧部下の所在や氏名を詮索されないように、その部分をフィクションにしたと示唆している。これは、戦争犯罪の加害者が、あえて体験を証言する際、当然の配慮であって、それを「ウソ」だとあげつらう方がどうかしている。
吉田氏が八十二歳になった晩年の九十六年、『週刊新潮』記者の電話取材に対して、次のように言ったという。「秦さんらは私の書いた本をあれこれ言いますがね。まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。…事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしょうがない」(『週刊新潮』九十六年五月二・九日号)。
このくだりは、秦氏や赤旗などが自分の論旨に都合のいい部分だけを引用し、吉田氏が自身の証言を「ウソ」と自白した決定的な証拠にしているが、曲解もはなはだしいと言わざるを得ない。
ちなみに、この『週刊新潮』記者の取材は、例の電話取材だったのだが、九十六年五月二・九日号の記事では明らかにされていない。あたかも記者が吉田氏に面会取材した際に、吉田氏が語ったように書かれている。天網恢恢疎にして漏らさずというべきか、秦氏の『慰安婦と戦場の性』で、「週刊新潮九十六年五月二・九日号」が「吉田氏は電話インタビューで『本に真実を書いても何の利益のない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか』と弁じた」(P二百三十八)と明らかにしている。
『週刊新潮』記者も秦氏と同様、吉田氏と面談もできないくせに、あれこれと誹謗中傷を書いているのだ。メディアとしては最低である。
ところで、秦氏が詮索している「十三項目の一覧表」の中で、吉田氏が「陳述」もしてないのに、詳しく暴いている経歴がある。それは十三戦後の略歴である。「四十七年下関市議に共産党から出馬して落選、七十年頃門司の日ソ協会役員をしていたほかは、職歴不明」というものだ。いったい、これは誰が暴いた「実際」なのか。一覧表の脚注の「(注二)」にこうある。「『実際』の諸事実は、一九九三-九六年にかけ、秦、板倉由明、上杉千年らが、下関を中心に吉田の縁者、知人などを通じ調査した結果である」。
板倉由明氏とか、上杉千年氏とかいう人物は何者か。国会図書館で、その名前で関連論文・著作を探った結果が、以下のものである。
★板倉由明「朝日新聞に公開質問!阿鼻叫喚の強制連行は本当にあったのか?――検証『慰安婦狩り』懺悔者の真贋」(『諸君!』九十二年七月号)
★上杉千年「吉田『慰安婦狩り証言』検証・第二弾――警察OB大いに怒る」(『諸君!』九十二年八月号)
★上杉千年「総括・従軍慰安婦奴隷狩りの『作り話』――元・共産党員、吉田清治氏の従軍慰安婦狩り証言は、真実か。その証言を検証しつつ、その『偽証』実態を明確にする」(『自由』九十二年九月号)
★上杉千年「連載五、作り話『南京大虐殺』の数的研究」(『ゼンボウ』九十二年十月号)
★上杉千年『検証 従軍慰安婦――従軍慰安婦問題入門』(九十三年七月二十四日、全貌社発行)
★上杉千年「(「虚報と反日に踊る日本」特集)日本人として『教育を受ける権利』は何処へ、『従軍慰安婦』が教科書に」(『ゼンボウ』九十三年九月号)
『諸君!』『自由』『ゼンボウ』という月刊誌は、いずれも現在は廃刊になっているが、少し古い共産党関係者なら、だれでも知っている反共謀略誌である。
秦氏は、板倉氏と上杉氏とどういう関係なのか。秦氏の著作のP二百四十三にはこうある。「私は済州島から帰ったあとも、ひきつづき自伝風に書かれた吉田の第1作を手がかりに、彼のライフ・ヒストリーを洗った。知友の板倉由明、上杉千年や出身地の方々なども協力してくれた」。彼らは秦氏の「知友」なのである。
彼らの論文や著作を読めば、彼らが日本共産党を攻撃することを主な仕事とする「研究者」たちであることは明らかである。だから、吉田氏が共産党の候補者だったことを取り立てて問題にする。
彼らの論文などを読めば、その「研究」が公安警察の手法と変わらないものであることがわかる。吉田氏が戦後直後に下関市議選で共産党の候補者として立候補して落選したという「事実」は、公安警察が最も興味を示すテーマだが、「従軍慰安婦狩り」の証言の真偽にはまったく関係はない。吉田氏にとって、最も公表してほしくない思想信条の自由に属する問題である。
そういう問題を彼らは必死になって調べている。初出を探したが、どうも上杉氏の「吉田『慰安婦狩り証言』検証・第二弾――警察OB大いに怒る」(『諸君!』九十二年八月号)がそのようだ。
そこには次のような記述がある。「(九十二年)七月号(板倉論文掲載)の発売と同時に、編集部には吉田氏の戦前の活動の舞台であった下関・福岡方面から、若干の情報が寄せられてきた。筆者上杉と(『諸君!』の)編集部が、山口県下関方面に取材の足を向けたのは、その幾つかの情報に促されてのことである。…まず、寄せられた情報を頼りにたどり着いた吉田氏の妻(故人)の実家、および幼い頃他家の養女となった吉田氏の実姉、さらに地縁のある人々の遠い記憶から、氏の最初の著書に描かれた戦前のドラマの虚と実が、一部ではあるが明らかになったことをまず報告しておくべきであろう。板倉氏が前号の公開質問の第一に挙げていた吉田清治氏の本名は『吉田雄兎』であった。おそらく『清治』はペンネームなのであろう。…ところで、ここに興味ぶかいデータがある。昭和二十二年四月三十日に投票の行われた下関市市会議員選挙の開票結果である。『吉田雄兎百二十九票』。最下位当選者の六百五十八票に遠く及ばぬ落選であったが、吉田氏は戦後一転、共産党から市議に立候補していたのである。この転身が、いわゆる戦後百八十度の転向を意味するのか、それともその源は朝鮮人を養子にした若き日に求めるべきなのか。吉田氏の経歴への疑念は深まるばかりである」
これが、上杉氏の調査だというが、よく読めば、「ここに興味ぶかいデータがある」というだけで、上杉氏らは「寄せられた情報」を鵜呑みにしている。それはなぜなのか。だれが、この「情報」を彼らに渡したのか。それは、そういう調査を得意としている公安警察以外にないだろう。彼らは公安警察情報を裏づけも取らずに信じる「研究者」なのである。
ところで、私は最近、山口県下関市の選挙管理委員会事務局から「昭和二十一年~昭和五十五年 選挙の記録(下関市選挙管理委員会)」という冊子の該当部分をFAXで送ってもらった。そこには昭和二十二年(四十七年)四月三十日の下関市議会議員一般選挙の得票結果が示されており、落選者の中に日本共産党・吉田雄免、百二十九票という記述がある。しかし、それは、上杉氏の論文が言うように「吉田雄兎」ではない。「吉田雄免」だ。名前が一字でも違えば、本人かどうかは確認できない。なぜ、上杉氏は、これを吉田雄兎氏=吉田清治氏だと断定するのか。ここにも上杉氏は「研究者」とは別の顔を持っていることがうかがえる。
公安警察は、戦中の特高警察の流れを汲む反共謀略組織である。秦氏たちは、特高警察の代弁者として、戦時中から共産党員であったかもしれない吉田清治氏の人格を必死に貶めようとしているのではないか。安倍首相ら保守政治家が吉田清治氏を「眉唾もんだ」などと目の敵にするのも、特高警察流の「共産党憎悪」の思想が底流にあると思えてならない。>
p百九十二〜二百一
このように、今田氏は「秦氏たちは、特高警察の代弁者として、戦時中から共産党員であったかもしれない吉田清治氏の人格を必死に貶めようとしているのではないか。安倍首相ら保守政治家が吉田清治氏を「眉唾もんだ」などと目の敵にするのも、特高警察流の「共産党憎悪」の思想が底流にあると思えてならない。」と物事を先入観で判断し、秦氏の些細な文章の違いを指摘しておきながら、今田氏本人は秦氏について「買春した「ホテトル嬢」にだまされた怨みが動機?」として下記のように書いている。
< 八、買春した「ホテトル嬢」にだまされた怨みが動機?
最後に、蛇足かも知れないが、やはり書いておいた方がいいことがある。それは、秦氏がなぜ、こんな著作を書いたかという動機である。
秦氏は、従軍慰安婦が国家によって強制されたという事実を絶対認めようとしない。著作の第六章「慰安婦たちの身の上話」で縷々書いているように、「慰安婦だった事実だけでも、立証困難な例が多いから、彼女たちが数十年の歳月を経て記憶だけを頼りに語る『身の上話』は雲をつかむようなものばかりである」という姿勢である。
元慰安婦の女性に対する思いやりは皆無で、むしろ蔑視する記述がいたるところに出てくる。例えば、「現在までに名のり出た慰安婦は三百人程度で、きわめて一部にすぎないが、次のように共通したパターンは見える」とし、四つの特徴の一つとして「知力が低く、おだてにのりやすい」と分析してみせる。ここまで、元慰安婦の女性を貶めようとする研究者が他にいるだろうか。
秦氏は、慰安婦たちが日本の軍や官憲に強制されたのではなく、売春婦として大金を稼ぐためにやったといいたいようだ。これは、第六章全体を読めば、明らかである。
秦氏にすれば、慰安婦を売春婦とみなすための最大の障害が、軍や官憲による慰安婦の強制連行の実行責任者として証言した吉田氏であった。だから、秦氏は、執拗な攻撃を吉田氏に向けてきた。
秦氏はなぜ、そんなに売春婦を蔑むのか。その答えが、著作に散見される。
P百七十七「昔から『女郎の身の上話』という言い伝えがある。純情な若者がすっかり信じこんでいるのを、年長者がからかい気味に戒めるときに引かれるが、最近だと女郎でなく『ホステス』や『ホテトル嬢』におきかえてもよい。当の私自身も若い頃に似たような苦い思いをかみしめたことがあるが、客を引き留める手練手管と割り切れば、さしたる実害はなかろう」
P二百七十四「昔から『女郎の身の上話』という諺がある。私も若い頃、ホステスの身の上話を聞かされ信じこんで先輩から笑われた経験がある」
つまり、秦氏は若い頃に買春をし、その時の売春婦にだまされて大金を失ったという体験を披露しているわけだ。
そういう過去の行為が大学教授や研究者のモラルとして許されるかどうか。それは、いまは問わない。
上に紹介した秦氏の個人的体験は、上段の部分は次のように続く。「しかし、国家としての体面や法的処理に関わるとなれば、検証抜きで採用するわけにはいかない」(P百七十七)。つまり、元慰安婦の証言は、売春婦の身の上話のようなものだから、それを検証なしに信じてはいけないという論理につながる。
下段の部分も「それにしても、裁判所へ提出する訴状なら弁護士が整理してくれるから多少はましかと思えば、高木健一弁護士らがついている慰安婦訴訟の訴状に添えられた身の上話は、お粗末なものが多すぎる」(P二百七十四)と続く。これは、元慰安婦の証言は、売春婦の身の上話のようなものだからウソに違いない、だから、裁判で元慰安婦の証言を採用すべきではないという論理になる。
秦氏がこのとんでもない論理を本気で信じていることを示すのが、この著作で元従軍慰安婦の証言を「身の上話」と一貫して書いていることである。
秦氏は、従軍慰安婦の国家による強制を否定することで、個人的な怨みを晴らそうとしているようである。これは、冷静で科学的、実証的な態度が要求される歴史研究にあってはならない態度である。これだけをとっても、秦氏の「研究」のデタラメさは明らかである。
ところが、秦氏はこうした批判を予想したのか、著作の「あとがき」で次のように言う。
「執筆に当っては、一切の情緒論や政策論を排した。個人的な感情や提言も加えなかった。事実と虚心に向きあうには、そうするしかないと考えたからだ」(P四百二十九・四百三十)
思わず「ウッソー」という言葉が出てくる記述だ。秦氏が、読者を煙に巻くためなら、どんなウソでも平気でつく、底知れないずるさを持った人物であることを示している。
以上、一から八に渡って、秦氏の著作を検証してきた。それは、様々な詐欺的手法を駆使し、詭弁をろうするものだ。その秦氏による「吉田証言」の検証は、とても信ぴょう性があるとは言えない。秦氏こそ、彼が吉田氏に当初から投げつけてきた「職業的詐話師」という言葉が、ぴったり当てはまる人物である。その「職業的詐話師」の「研究」に大きく依拠した朝日や赤旗の「検証記事」の信ぴょう性が、ますます問われている。>
①p二百一〜二百五
秦氏に対して
< P二百七十四「昔から『女郎の身の上話』という諺がある。私も若い頃、ホステスの身の上話を聞かされ信じこんで先輩から笑われた経験がある」
つまり、秦氏は若い頃に買春をし、その時の売春婦にだまされて大金を失ったという体験を披露しているわけだ。>
と秦氏が言ってもいない買春話を自分で作っているのである。
秦氏は「ホステスの身の上話」と言っているのであって、「売春婦の身の上話」ではないのである。
ホステスのいる店に行く事がどうして売春婦のいる店に行く事になるのか。ましてや、どこにも女性を買ったなどと書いていないのを<買春した「ホテトル嬢」にだまされた怨みが動機?>などと自分で勝手にそう解釈しているのである。
また、今田氏が「彼らは公安警察情報を裏づけも取らずに信じる研究者なのである」と言っている板倉氏が秦氏に関して「私記 南京虐殺 曽根一夫」の嘘をそのまま自分の南京事件に関しての著書「南京事件」に引用していることにより、板倉氏より『諸君!』一九八八年十二月号において、「『南京虐殺』のザンゲ屋、『曽根一夫』の正体」と題して、厳しく指摘している事など一切お構いなしなのである。
まさに自分こそが、裏付けも調査も何もなしに「吉田氏の発言が正しい」と信じる愚かものなのである。
今田氏は脳みそが腐っているとしか言えない。
あほらし
Tさん二名様で来店。
一名様来店。
わ。さん来店。
マロさん来店。
ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。