今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その八

今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その八
8月16日日曜日晴れ◯
 今田氏自画自賛の「(論評)秦郁彦『慰安婦と戦場の性』の検証」としてそこには下記のように書かれています。
<朝日や赤旗は二千十四年八月五日付と同年九月二十七日付のそれぞれの紙面で、朝鮮の済州島などでの「慰安婦狩り」を証言した故・吉田清治氏とその証言について、「偽証と判断」(朝日)とか、「信ぴょう性がない」(赤旗)とかの理由で、その発言や活動に関するすべての記事を一挙に取り消した。そのやり方は、個々の証言部分の真偽を科学的に検証し、誤りだと判明した個所を正確に訂正するという厳密なものではない。吉田氏の発言や活動に関する記事は、どんなものであれ、すべて取り消すという、乱暴極まりないものである。あたかも吉田氏という人物全体が「信用できない大ウソつき」だと判明したかのような措置だが、検証記事はそんなことはまったく明らかにしていない。
 朝日や赤旗が検証記事で、「吉田証言」を否定する最大の根拠にしているのが、歴史家・秦郁彦氏の「研究」である。しかし、この「研究」は本当に吉田氏や「吉田証言」を全面否定するだけの内容なのだろうか。朝日や赤旗の検証記事を検証するうえで、秦氏の「研究」の検証は欠かせない。
 秦氏の「研究」の代表作、『慰安婦と戦場の性』(千九百九十九年、新潮社)を中心に、その「研究」の信ぴょう性を検証していきたい。>
①p百五十八

 そして、
一、自分を棚に上げ、相手の人格を貶める手法
二、ウソをつきながら、相手を「ウソつき」と断定する手法
三、裏どり証言がないだけで、証言を「ウソ」と断定する手法
四、電話取材での言質を証拠に、「ウソつき」と断定する手法
五、白を黒といいくるめるための、引用改ざんの手法
六、何人もの研究者が秦氏の著作のデタラメさを指摘
七、戦中の特高警察の流れを汲む反共謀略組織の代弁者の疑い
八、買春した「ホテトル嬢」にだまされた怨みが動機?

この八つをあげている。

私の指摘できる範囲で矛盾点について指摘したいと思います。

 <一、自分を棚に上げ、相手の人格を貶める手法

 秦氏の『慰安婦と戦場の性』を一読して気付くのは、相手の証言を否定するのに、真正面から論理的に立証するのではなく、相手の人格を貶めて、それで証言の信ぴょう性をなくそうという手法をとっていることである。>
p百五十九

として、

 <同書の第七章は「吉田清治の詐話」と題され、まるまる二十ページを「吉田証言」否定のための論述に当てている。
 その論理構成は、「日本軍が犯したとされる戦争犯罪がマスコミで取りあげられると、必らずと言ってよいぐらい元日本兵の『ザンゲ屋』ないし『詐話師(ウソつきのこと)』が登場する」→「有名な南京虐殺事件にも、この種の人物が何人か登場する」→「(秦氏は)その一人とニューヨークで同宿したことがある」→「(その一人は)ホテルに帰ると私に『カン・ビールを買ってこい』と命じ、モロ肌脱ぎになって飲みながら『強姦した姑娘(クーニャン)の味が忘れられんなあ』と舌なめずりした」→「同類の『詐話師』に何度か振りまわされた経験をつんで、私は疑ぐり深くなっていたのかも知れない」→「吉田清治の言動に私が疑惑を感じたのは、こうした苦い体験のせいもあったと思う」→〝裏付けをとりたいので旧部下を紹介してくれと電話で吉田氏に言ったら旧部下に迷惑をかけるのでと断られた″→〝決め手が見つからないので済州島の現地調査をした″→〝済州島の新聞で「吉田証言」の裏どりをした記事を発見し、そこには「裏付け証言をする人はほとんどいない」と書かれていた″→〝この記事を書いた記者に話を聞くと「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と問い詰められ「答に窮した」″云々と続く。
 この立証の論法は、予断と偏見に満ちた非科学的なものだということが、一見して明らかである。まず、指摘したいのは、ニューヨークで同宿したという南京虐殺事件の加害者が、強姦した女性の「味が忘れられんなあ」と言った(これは裏が取れない、秦氏との密室の会話)という「事実」から、すぐに彼を「詐話師」と断じている論法の非科学性である。百歩譲って、この人物が「詐話師」だと立証できたとしても、この人物とはまったく別の吉田氏を「詐話師」と疑うのはおかしい。こんな理屈は、通常の歴史研究では通用しないであろう。
 まがりなりにも「立証」されているのは、この人物の戦争犯罪を謝罪する姿勢の真剣さに疑問があるという程度のことであろう。この秦氏が体験したウソかホントかわからない個人的エピソードをもって、この人物を「詐話師」というのは、大変な論理の飛躍である。一種の詭弁というべきだ。>
①p百五十九〜百六十一

< 別の角度からも検討しよう。秦氏の個人的エピソードを仮に「事実」と考えても、秦氏の言い方は、戦争中の残虐行為を感情的に肯定してしまうことがある加害者の矛盾した心理(精神的後遺症と思う)を道徳的に非難するものだ。その人格を貶め、その証言そのものを「ウソ」とする。仮にこの論法を秦氏自身に当てはめて、秦氏がそういう道徳的批判をするにふさわしい人物かどうかも検討しよう。
 秦氏の著作の第六章「慰安婦たちの身の上話」には、佐竹久憲兵准尉の戦争中の回想が紹介され、慰安所がないので憲兵による強姦が多発したとしている。それについての秦氏の感想がとんでもない。いわく「強姦する憲兵もいたくらいだから、末端部隊のお行儀はかなり悪かったのかもしれない」(P百九十八)。占領地フィリピンでの日本軍兵士の強姦の横行という、残虐な戦争犯罪を「お行儀はかなり悪かった」としか認識できないモラルこそ、秦氏の人格の下劣さを象徴している。秦氏には、戦争犯罪を謝罪する人物を道徳的に批判する資格はない。秦氏の論法を当てはめれば、秦氏自身が「詐話師」になってしまう。
 道徳性の比較でいえば、吉田氏は、その著書の「あとがき」などを一読すれば、秦氏とは比べ物にならない。若干の紹介をしたい。
 「朝鮮民族に、私の非人間的な心と行為を恥じて、謹んで謝罪いたします。吉田清治――私はこの文を三十年前に書くべきだった。戦前、朝鮮民族に対して犯した人間としての罪を、私は卑怯にも三十年間隠蔽して語ろうとしなかった。その結果、第二次大戦で外国人(朝鮮人・台湾人・中国人…等)を一千万人も殺した戦前の私たちと同じように、現在の日本人も排他的な国益の概念を愛国心だと盲信して、人類共存の理念に反する諸法令をつくり、弱肉強食の獣性に堕ちている。…在日外国人を尊敬しないで、日本人が外国で尊敬されるはずがない。在日朝鮮民族への排外思想を矯正するように、日本人の青少年に対して正しい人間教育を、各界の識者にお願いする。戦前戦後を通じて、私は民族的悪徳をもって一生を送ってきたが、老境にいたって人類共存を願うようになり、人間のすべての『差別』に反対するようになった。日本人の青少年よ、願わくは、私のように老後になって、民族的慙愧の涙にむせぶなかれ」(千九百七十七年『朝鮮人慰安婦と日本人』の「あとがき」から)>
①p百六十一〜百六十二

 どうして、先の大戦で我が国が他国の人々を一千万人殺したと書くこの吉田氏の著書のあとがきが吉田氏の優れた道徳性になるのか、理解出来る人間は何人いるのであろうか。
 秦氏の吉田氏に対しての「詐欺師」呼ばわりの否定にも何もなっていない。

 今田氏は秦氏の嘘として

 <二、ウソをつきながら、相手を「ウソつき」と断定する手法

 ところで、『慰安婦と戦場の性』の論理構成は、吉田氏を初めから「詐話師」と疑う非論理的なものだが、それでも、秦氏が、どの段階で吉田氏を「詐話師」と断じたのかを探ると、また発見がある。
 論理構成の最後に出てくる場面、すなわち、済州島の記者・許栄善女史に秦氏が問い詰められ、秦氏が「答に窮した」と書く段階がそうだと思われる(同著P二百三十三)。同著には「答に窮した」とあるが、実際には秦氏はとうとうと答えている。つまり、同著のこの部分は明らかなウソである。
 何と秦氏が答えたかは、済州島の調査を秦氏が初めて記述した論文「昭和史の謎を追う――第三十七回・従軍慰安婦たちの春秋」(『正論』九十二年六月号所収)にある。
 そこの記述をそのまま紹介する。「『何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか』と、今は済民新聞の文化部長に移っている許女史に聞かれて私も窮したが『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐話師が何人も現われました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった。聞くところによると、くだんの吉田氏も何回か韓国へ謝罪の旅に出かけ、土下座したり慰安婦の碑を建てたり、国連の人権委員会へ働きかけたりしているようである」。
 この秦氏の許女史への回答は、済州島の記者が「吉田証言」を「作り話」と言った(彼女の記事にはそう書いてない)ことをそのまま肯定し、「彼らは土下座してザンゲするくせがあります」といって吉田氏を「詐話師」の一人に加えていることがわかる。しかも、この秦氏の回答を記述した、この論文の一節の小見出しは「慰安婦狩の虚構」である。
 秦氏は「答に窮した」のではなく、許女史の詰問に「窮した(困ったという意味)」というのが本当だ。どうも、秦氏はそれとなくウソをつく「くせ」があるようだ。ウソをつきながら、相手を「ウソつき」と断定する手法も、詭弁の一種に違いない。>
①p百六十三〜百六十四

<秦氏は「答に窮した」のではなく、許女史の詰問に「窮した(困ったという意味)」というのが本当だ。どうも、秦氏はそれとなくウソをつく「くせ」があるようだ。ウソをつきながら、相手を「ウソつき」と断定する手法も、詭弁の一種に違いない。>

これのどこが秦氏の嘘になるのであろうか。
書き方の違いだけであろう。
これだけで、秦氏を「嘘」をつく癖があると言っているのである。

 このようなおかしい指摘は下記のように続く。

 <三、裏どり証言がないだけで、証言を「ウソ」と断定する手法

 秦氏がずるいのは、この論文の最後の記述である。「もちろん済州島での事件が無根だとしても、吉田式の慰安婦狩がなかった証明にはならないが、いまのところ訴訟の原告をふくめ百人近い被害者側から該当する申告がないのも事実である」と書いている。秦氏は、〝どうしてこれが「吉田証言」を否定する根拠になるのか″という専門家筋の批判を予想して、あらかじめ自分の論文は「吉田証言」を「否定する証明にはならない」と、予防線をはっているのだ。
 しかし、この秦氏の論文は、産経新聞が九二年四月三十日付で、「吉田証言」の信ぴょう性に疑問をつきつけたものとして、裏づけ取材もされないで大きく報道された。その見出しを紹介しよう。
 「朝鮮人従軍慰安婦 強制連行証言に疑問 秦郁彦教授が発表――加害者側の〝告白″ 被害者側が否定」。
 おいおい、である。秦氏が「貝ボタン組合の役員をしていたなどという何人かの老人たちと会い、確かめたところ、吉田氏の著作を裏づける証言は得られなかった」ということや、「吉田証言」について、済州島現地の新聞記者が一部の地元民を調べ、裏どり証言をする人が「ほとんどいない」という結果だったということだけである。いわば、歴史研究者として証拠が見つからなかったといった、あまりニュース価値のない研究失敗の「発表」である。なのに、「強制連行証言に疑問」という見出しはないだろう。〝裏づけ証言が得られなかった″〝秦氏が不明を恥じる″、という見出しの方が適切ではないか。
 もう一つの見出しの「被害者側が否定」も、意味が分からない。済州島の老人や新聞記者は「被害者側」なのか。
 この記事には、産経記者の電話取材による、吉田清治氏の次のようなコメントを掲載している。「私は事実を書いた。…儒教の伝統が強い韓国では仮に強制連行であっても一族に従軍慰安婦がいたということは末代までの名折れであり、本当のことを言うはずはない。被害者の家族が名乗り出ないのは当然であり、済州島の古老の人たちが本当に(秦教授らに)事実を話したかどうか、分らない。私は済州島の被害者の家族からお礼の手紙ももらっている」
 秦氏のコメントも併せて掲載してあるが、自らの不明を恥じるのではなく、あたかも「吉田証言が疑わしい」といえる発見があったかのように言うところが彼らしい。「今回の調査結果によって、吉田氏の〝慰安婦狩り″が全否定されたことにはならないが、少なくとも、その本の中でかなりの比重を占める済州島での〝慰安婦狩り″については、信ぴょう性が極めて疑わしい、といえる」
 ただし、産経新聞と言えども当時は、この程度の現地調査で、「吉田証言」を「ウソ」とか「虚偽」などと全面否定しない見識を持っていたことがわかる。
 ところが、いまの産経新聞の見地は違う。この論文は、最近の産経新聞社発行の月刊誌『正論』十四年十一月号に再録されているのだが、その前文には「九十年代に猛威を振るった『慰安婦強制連行』説。その根拠だった吉田証言の嘘を見抜き、ついには朝日新聞に白旗を上げさせた重要論文!」とある。いつのまにか、この論文は「吉田証言の嘘を見抜いた」論文にされている。
 裏どり証言が、いろいろなやむ得ない事情で得られないことをもって、その証言を「ウソ」と断定する手法は、やはり詭弁の一種だ。
 この詭弁だが、実は朝日の検証記事にいたるところで見受けられる。「『済州島で連行』証言、裏づけ得られず虚偽と判断」「読者のみなさまへ――吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏づける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」。朝日は、ジャーナリズムの実証的手法を投げ捨て、このいかがわしい詭弁の手法まで、受け入れてしまったのだろうか。
 ちなみに赤旗の検証記事は、こう書いている。「この『吉田証言』については、秦郁彦氏(歴史研究家)が九十二年に現地を調査し、これを否定する証言しかでてこなかったことを明らかにしました(『産経』九十二年四月三十日付)」。ここには、右翼論客である秦氏への批判的見地も、右翼紙・産経新聞に対する警戒もない。諸手を挙げての賛美である。しかも、朝日や秦氏と違って、赤旗は、裏づけのための済州島の現地取材さえ、やった形跡がない。秦氏の一回だけの現地取材をもって「(済州島では)これを否定する証言しか出てこなかったことを明らかにしました」という、みずからが報道機関であることさえ忘れた断定である。あきれるばかりである。
 話はそれるが、一つだけ、注目すべき吉田氏の発言部分を強調したい。「私は済州島の被害者の家族からお礼の手紙ももらっている」という部分だ。産経新聞は「吉田証言」を虚偽だとキャンペーンをしながら、この発言をいまだに(十一月二十二日現在)取り消していない。朝日に対して〝裏どりをしないで吉田証言を掲載した″と徹底的に非難する産経新聞だから、当然、この発言部分も裏どりをして掲載したものと思いたい(笑い)。産経新聞紙上ではこの「吉田証言」は生きている。なお、手紙の当時の差出人は、済州島の住民だとは限らないことに注意を喚起したい。そこに今後の裏づけ調査の手がかりがあるのではないか。>
①p百六十四〜百六十九

 まさに、おいおい、である。
<秦氏が「貝ボタン組合の役員をしていたなどという何人かの老人たちと会い、確かめたところ、吉田氏の著作を裏づける証言は得られなかった」ということや、「吉田証言」について、済州島現地の新聞記者が一部の地元民を調べ、裏どり証言をする人が「ほとんどいない」という結果だったということだけである。いわば、歴史研究者として証拠が見つからなかったといった、あまりニュース価値のない研究失敗の「発表」である。なのに、「強制連行証言に疑問」という見出しはないだろう。〝裏づけ証言が得られなかった″〝秦氏が不明を恥じる″、という見出しの方が適切ではないか。もう一つの見出しの「被害者側が否定」も、意味が分からない。済州島の老人や新聞記者は「被害者側」なのか。
 この記事には、産経記者の電話取材による、吉田清治氏の次のようなコメントを掲載している。「私は事実を書いた。…儒教の伝統が強い韓国では仮に強制連行であっても一族に従軍慰安婦がいたということは末代までの名折れであり、本当のことを言うはずはない。被害者の家族が名乗り出ないのは当然であり、済州島の古老の人たちが本当に(秦教授らに)事実を話したかどうか、分らない。私は済州島の被害者の家族からお礼の手紙ももらっている」>

<「吉田証言」の信ぴょう性を検証するなら、何はさておき、その核心である南朝鮮での従軍慰安婦狩りの事実こそ、調査すべきであろう。秦氏の「研究」は、そうした現地調査は適当に済ませて、>
①p百九十三

 吉田氏証言を否定する秦氏の済州島おける実地調査を否定するのであれば、今田氏自身がその証明をしなければならない。
 では、<赤旗の検証記事は、こう書いている。「この『吉田証言』については、秦郁彦氏(歴史研究家)が九十二年に現地を調査し、これを否定する証言しかでてこなかったことを明らかにしました(『産経』九十二年四月三十日付)」。ここには、右翼論客である秦氏への批判的見地も、右翼紙・産経新聞に対する警戒もない。>と書く今田氏は秦氏の証言を否定できるだけの材料があるのかといえば何も示していない。
 吉田氏がいう被害者からのお礼の手紙の事実を秦氏がしなければいけないのか。吉田証言が「事実」であると信じている今田氏こそ、吉田証言の裏付けを取らなければならないはずである。
 
あほらし

今日は店の片付け。
本の片付け。
酒は飲まず。
サルでもエビでもない。