今田真人の著書「吉田証言は生きている」の違和感その六
今田真人の著書「吉田証言は生きている」の違和感その六
8月10日月曜日晴れ×
「命令書など、戦後直後の焼却の経過」として吉田氏は
<焼却を何をしたかということは、これ、大事なんですが、八月十五日以前に、すでに情報として、この南方でどんどん負けていっているでしょ、それ、みんな戦争犯罪で処刑されたニュースは、当時、新聞には出ていないが、警察関係者には情報として、みんな入ってますから。
八月十五日まで、捕虜になったり、処刑されたり、絞首刑になったり、銃殺されたりしてますからね。だから、その全て戦争に関わった将校たちが、軍の動員業務なんて重要なものは、関与した、これは罪になる、と、誰でも怖いですから、軍のそういう業務をやったと。警察の治安だけなら、言い訳もたつが、軍の仕事を日本の警察官はやらされてますので、だから、警察署長も全部、自発的にみんな、証拠隠滅を破壊をいたしてますよ。そして八月十五日に、すぐに県の警察、いまでいう県警本部長ですね、当時は警察部長、労務報國会の副会長でした、その警察部長からの極秘の命令が、警察電話で署長あてにあって、それを内務省内務次官通牒によって秘密の極秘通牒だからということで、全ての動員業務、ことに朝鮮人に関する動員業務は、完全に私物にいたるまで焼却処分をすること、とくに写真、記念写真、これは文書とか、みんなのですね、いわゆる勤務報国会とかなんとかですね。それから突貫工事成功した時とか、落成式とか、記念撮影がありますよね、そうしたものに朝鮮人が写っていますからね、朝鮮人の班長クラスが、そういう全ての、特に慰安婦の事は、動員業務に関わる朝鮮人に関する、カッコしてですね、その写真を特に、とか、箇条書きみたいにですね、県の方からきて、これは文章がきまして、ほんで警察署長のところに焼却処分をと、それで警察署長は八月十五日に実行する事になるんですよ。もう、みんな残った数少ない署員たちと、もう、下関もあっちこっち戦災の後で、みんなどうしようもない時期ですから。そういう時で、とにかく残った署員で、これを焼却して海に流せと、いうことでですね、焼却する方法は、ドラム缶で、特殊な油がありましたからね、特に、そういう油を使って、ドラム缶の下の方に穴を開けて。そういうことは、みんな心得ていますよ。
そして、ドラム缶を並べて、警察署の裏はすぐ岸壁で海ですから
略)
焼けませんわ、油で焼こうたって。一日中かかった。
略)
それで、かれこれ一週間かかりました。完全に処分するには。そして、その焼却したということを警察署長が支部長ですから、労務報国会下関支部長、横に労務報国会下関支部動員部長の私と、二人で責任者として、証明してハンコついて、その書類を県の警察部長あてに報告書を書きました。>
①P六十一〜六十三
<みんな戦争犯罪で処刑されたニュースは、当時、新聞には出ていないが、警察関係者には情報として、みんな入ってますから。
八月十五日まで、捕虜になったり、処刑されたり、絞首刑になったり、銃殺されたりしてますからね。>
P六十
「戦争犯罪」とは、
<戦争犯罪(せんそうはんざい)とは[1]、戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反をさす。
通常は戦闘員や司令官(交戦者)、あるいは非戦闘員の個人の犯罪行為を対象とし、交戦規則を逸脱する罪が問われる。国際軍事裁判所条例制定に関わる議論のなかでこの概念は拡張されており、国家犯罪(国際的懸念事項)としての平和に対する罪や人道に対する罪が創設された。>
戦争犯罪 – Wikipediaより。
八月十五日以前に吉田氏は我が国軍人が「戦争犯罪」で処刑されていると言っているのである。はあ?
よって、朝鮮人「強制」連行に関する写真など全てを処分せよという命令がきたと言っているのである。はあ?
これについても、今田氏は何の疑問を持っていない。
徴用についてはいくらでも写真が残っている。
手元にあるどうしようもない嘘つき朝鮮人・鄭正模の著書にも「強制連行記念写真」が掲載されている。
「朝鮮海峡」林えいだい著 明石書店 一九八八年刊 p二百十四
こういった事さへ今田氏は吉田氏に質問していないし確認もしていない。
あほらし
今日は久しぶりに中野の「石松」さんにMさんとKさんとで伺いドンチャン。
相変わらず、美味しい。
一応、帰るまでは記憶があったが、その後は記憶なし。
猿以下。