村木厚子の不敬なるパラオ事件

村木厚子の不敬なるパラオ事件
7月2日木曜日雨△

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今日発売の週刊新潮より
<「村木厚子」の不敬なるパラオ事件
両陛下が慰霊碑に向かって歩もうとされたその瞬間、そこに立ちはだかった者がいた。
略)
「南洋独特のギラギラした太陽が照りつける中、彼女は両陛下に向かって、実に三分十五秒にもわたりダラダラと慰霊に関する話を続け、両陛下に足止めを食らわせたんです。」
略)
「慰霊の場で、天皇陛下に対して長々と講釈を垂れること自体が不敬の誹りを免れない。厳粛な場面で求められるのは、静寂な環境の元で両陛下がお見せする鎮魂のお姿です。これによって、見ている私達も身の引き締まる思いを共有する。言うまでもなく、主役は両陛下なんですからね」
しかも、村木氏のような暴走を防ぐために、
「事前に御進講、つまり担当者が両陛下に御説明に上がり、パラオや慰霊碑に関してレクチャーする場を設けていた。両陛下は、防衛省やパラオ戦線で生き残った元日本兵の方などから詳細な説明を受けている。
彼女が現場で喋るべき事など何も無いはずです」
「考えてみてください」としてこの関係者は続ける。
「八月十五日に日本武道館で開催される全国戦没者追悼式で、天皇陛下がこれから『お言葉』を述べようとされた時に、それを役人が遮って、『陛下、この式典は毎年行われているもので、先の大戦による死者は百万の単位に上り、靖國神社にはいわゆるA級戦犯も合祀されていまして・・・』なんて、三分以上も説明を始めたら、追悼ムードも何もあったもんじゃあないでしょ?」
略)
先の同行記者が補足する。
「戦後六十年の年に両陛下はサイパンを訪れ、バンザイクリフに足を運ばれました。そこで両陛下は静かに拝礼され、その後ろ姿に接して我々は胸を打たれたものです。
この時、案内役を務めた外務省の職員は『ここがバンザイクリフです』と一言説明しただけで、すっとその場を離れ、両陛下お二人で静かに黙祷される場面を演出していました。
慰霊の場での役人はこうあるべき。村木さんはこのサイパン御訪問のことすら勉強してなかったんだな、というのが率直な感想です」
加えて、慰霊碑への供花後、両陛下が現地の方や遺族と懇談された場では、
「天皇陛下が彼らとお話をしている中に村木さんが割って入り『そろそろ』と懇談を終わらせようとした。両陛下に随行していた宮内庁の河相周夫式部官長(当時)が『村木さん、ここはいいんです』と窘めていました」
自身は不要としか思え無い説明を延々と行いながら、両陛下と地元の人々の貴重な触れ合いは早々に打ちきろうとした村木氏・・・・・。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が不快感を示す。
「天皇陛下は皇太子時代から先の大戦に関する勉強を始められ、皇后陛下も御成婚後、半世紀以上、学習なさっている。天皇陛下の知識は大学教授と同等か、それ以上のものだと思います。村木さんの説明がどれほど無意味だったか分かろうというもの。彼女は決定的に配慮に欠けていたと断じざるを得ず、前代未聞です」
『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書)の著者である平山周吉氏も同調する
「天皇陛下がどれほど勉強なさっているか、分からないはずがないのですが、村木さんは想像力が働かなかったのでしょうか。そもそも、陛下に対する態度以前に、炎天下で八十歳を超えた方に接する姿勢としても著しく配慮が足りない。私には、彼女が目立とうとしたとしか思えません」>
週刊新潮平成二十七年七月九日号P五十〜五十一

確かにネットではこの時の写真がいろいろとあります。

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まさに厚顔無恥の極み。
あんた何様と言いたくなります。

こんなのが次官です。

あほらし

Nさん二名様で来店。
二名様来店。

ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。