気違い新聞(聖教新聞)と売国奴・林博史とのつながり
気違い新聞(聖教新聞)と売国奴・林博史とのつながり
6月24日火曜日晴れ△
河岸でタダで配られている「気違い新聞」(一部では聖教新聞ともいう)の今日の紙面です。
そこには「声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような 」というメッセージだけで姿を見せないというどんなおならより臭い下品極まりない池田代作または二作(ふたさくであって決してブタサクではない)(一部では池田大作ともいうらしい)氏の青年不戦サミットへのあほらしいメッセージが掲載されていますがこんな屁以下のメッセージなどはどうでもいいのです。
支那に行きながら支那の現在進行形の民族浄化には何も触れない気違い新聞には下記のような「体験談」が掲載されています。
<中根文子
戦争は敵とだけでなく、味方同士の間でも醜い争いがありました。特に恐ろしかったことは、捕虜になる12日前のこと。前里部落で野菜とりに行って、出会ったことです。
部落の向かいのマコト島から流れついた16歳ぐらいの娘が、木にしばりつけられて、(日本兵に)拷問に合っていました。気を失っては、水をかけられているうちに、とうとう息絶えていました。聞いた所によると「どっちみち、日本は負ける。降参するように」と書かれたビラをもっていたので、スパイ扱いされていたそうです。
私たちには青春というものはありませんでした。壕の中で泣くことを理由に我が子の口におしめを突っ込んで殺してしまった母親や、(艦砲射撃で)頭のない姉の姿を思い出す時どんなことがあっても戦争はしてはいけない、二度と私たちのような経験を子供達にさせてはいけないと、私は全人類に叫びたいです。>
この中根文子という御仁の体験談を検索すると、あの反日を仕事にしている関東学院大学の林 博史氏のゼミのページのみが出てきます。
<沖縄調査報告書 ニライカナイへの旅
第10集 1999年2月1日―2月5日 関東学院大学経済学部林研究室 1999年5月
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study41.htm>
この中に
<捕虜になる12日前のことで、前里部落で野菜をとりに行って出会った事について、中根文子氏は次のように証言している。5)
前里部落の向かいのマコト島という小さな島から流れついた16歳ぐらいの娘が、木にしばりつけられて、ひどい仕打ちと拷問に合っていました。気を失っては、水をかけられているうちに、とうとう息絶えていました。聞いた所によると「どっちみち、日本は負ける。降参するように」と書かれたビラをもっていたので、スパイ扱いされていたそうです。>
と同様の証言?があります。
この林氏は高嶋伸欣氏などと共謀し銭まで出してマレーシアにおける「日本軍の残虐なる行為」の「日治時期森州華族蒙難史料」というでっち上げ本を出している反日のためだったらなんでもやるお人です。
そんな連中と繋がっているとは流石は気違い新聞と納得。
あほらし。
マロさん五名様で来店。
Sさん来店。
Mさん二名様で来店。
今日は飲まず。
後片付けしてさっさと帰る。
サルでもエビでもない。