本多勝一は天皇陛下をどのように見ていたか
6月17日水曜日晴れ一時雨△
過去の日記に書いたことですが、我が国は天皇陛下とともにあるが、その天皇陛下について、あの売国奴・本田勝一はどう語っていたか。
<「こういうもの(注=天皇)を、平然と飼っている日本人を、心底から恥じさせてくれる存在」
「利用された気の毒な人なのだから、死刑にしなくてもよいが、国外追放にして今後また利用されないようにする。南米あたりに移住してもらって、あそこの勝ち組の日系人たちに飼ってもらったら」>
「我々にとって天皇とはなにか」(エール出版)という問いに対して「北京から」回答して。週刊新潮昭和四十六年九月二十五日号の記事「朝日のエース 本多勝一記者のやっていること」より 私の引用は「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」(新潮社二〇〇六年刊) p五三より引用
<言葉だけでアイマイにしておく「罪」などは、日本以外にはほとんど存在しない。きびしいリアリズムなのだ。日清戦争以来五十年間も中国を侵略し、日露戦争中の中国人殺害なども含めると何千万人も殺した過去について、どうしてそのようにかんたんに「あやまる」のだろうか。
このような態度は、中国では全く通用しないのだ。
略)
中国人が何千万人も殺された行為が、どのような構造によってなされたかを、素朴に、原点にさかのぼって考えてみよう。これは実証してゆけば、大册の単行本になってしまうけれど、そんなことをするまでもなく、実はほとんどの日本人は知っている。天皇制。すべては天皇に象徴される天皇制軍国主義によってなされた。もちろんそのさらに底には財閥があるけれども、構造の頂点に天皇があったことは否定できない。三光作戦による皆殺しも、天皇の名においてすべて正当化されてきた。赤ん坊を面白半分に突き殺し、その母親を強姦する行為も、すべて天皇の名によって「聖戦」となるのだった。中国人がこんなにもひどい目にあわされたことの元凶は、天皇制軍国主義である。その天皇が、今なにをしているか。
略)
私たちは、多少はスジの通った考え方のできる者であればだれでも知っている。天皇制などというものは、シャーマニズムから来ている未開野蛮なしろものだということは。ニューギニア高知人だって、こんな未開な制度を見たら大笑いするであろうことも知っている。にもかかわらず、平均的日本人よりは「良識ある」報道人が作り出す大新聞さえ、『ニューヨーク・タイムズ』と決定的に違って、ニューギニア高地人に大笑いされるような、ドバカな記事を書いているのである。世界に希有なこの大迷信によって、戦争中の私たちは、あんなにもだまされ、あんなにもひどい目にあった。敗戦のとき報道人は「もうだまされまいぞ」と心に誓ったのではなかったのか。どうしてそれが、今でもこういうことをやっているのだろうか。どうしてそれが、今でもこういうことをやっているのだろうか。だが、この「良心的」報道人の態度は決して報道人特有のものではなく、日本の一般的知識人の正体の反映なのだ。恥ずかしい。日本が侵略したアジア諸国の人々に対してとくに恥ずかしい。この世界で最もおくれた野蛮な風習を平気で支持している日本人。侵略の口実とした天皇をそのまま「あがめたてまつ」っている日本人。第一に謝罪すべきアジアでなく、ヨーロッパあたりへ出かけてはほっつき歩く天皇を大々的に報道する日本人。こんな民族は、世界一恥ずべき最低民族なのであろうが、私もまたその一人なのだ。少しでも、もう少しでも、ましな民族になってほしいと、いたたまれない「愛国」の気持ちで、こんな文章も書いている。
略)
戦後、天皇は人間になったなどといわれたが、「象徴」という奇妙な存在として、結局は天皇制が残された。このあいまいな存在。こういう思想的甘さが、どれだけ残酷な結果をもたらしてきただろう。
略)
日本および日本人については、そのような意味で根底をなすものは何か。それこそまさに天皇制である。しかも天皇制は、常に「悪」の面でのみ、日本人にかかわり、支配している。世界の人民の平和のために、消えてなくならなければならないものはたくさんあるが、天皇はその典型のひとつといえよう。>
(本多勝一氏の著書「中国の日本軍」蒼樹社p二九四~p二九八より引用 同文は「月刊社会党」一九七二年一月号に掲載されたもの)
この本多氏の言葉を読んで、怒りを覚えない普通の日本人は皆無でしょう。ちなみに、この時、本田氏は朝日新聞のバリバリの第一線記者であり、スター的存在でした。このような者が看板記者であり続けた朝日新聞というものがどういったものであるか。今更ながらによくわかる事例です。
河岸が休みなのでゆっくりと店に行く。
二名様来店。
二名様来店。
米国系日本人であるMさん来店。
ドンチャン。
一応記憶あり。
サルよりマシ。