朝日新聞・「聞き書き 静岡の戦争」を読む

朝日新聞・「静岡の戦争」を読む

2月17日火曜日雪のち雨△

前書きとして、

<戦後40年の節目にあたる1985年夏は、

戦争と平和を考える上で、いくつかの象徴的な出来事があった。

中曽根首相の靖国神社公式参拝や防衛費の対国民総生産(GNP)1%問題、国家秘密法案などどれ一つとっても、これからの日本の進路に影響を及ぼさずにはおかないだろう>

この前書きだけで、この本がどういったものかがよくわかる。

そして、同じ前書きには下記のような事も書かれている。

<平和の貴さを理解するのには、何よりも戦争体験を忠実に語り継いでいかねばならない。>

では、その忠実に語った戦争体験とはどういったものか。

支那のページの証言は撫順収容所で洗脳教育を受けた「中帰連」の人間のみの証言となっている。

岩崎賢吉、佐藤高治、鈴木千代吉、鈴木清、土屋豊治、根上民夫、そして、「私記南京虐殺」の著者曽根一夫まで登場する。

<悪名高い「三光作戦」は既に始まっていた。三光とは、殺光(殺し尽くす)、焼光(焼き尽くす)、略光(略奪し尽くす)ことで、日本軍が中国大陸で行った残虐行為の総称である。>

P六十一

光を殺すと習った日本人はいるのであろうか。支那では光は殺すと言う意味らしいが、日本語でない言葉をどうして、我が国の軍隊が作戦名としてわざわざ使用しなければならないのか。

曽根一夫はこの「静岡の戦争」の中でも

<ある時、分隊長だった曽根さんは、数人の部下とともに南京近くの小さな集落に食料の「徴発」にでかけた。鶏を数羽手に入れて帰ろうとした時、畑の中に若い男女が身を伏せているのを見つけた。逃げ道を失った夫婦らしく、土下座して見逃してくれるように懇願していた。部下達の欲望を察した曽根さんは、率先して「やってしまおうか」と誘いかける。

曽根さんも含めて、兵隊達は次々にこの婦人に乱暴したあげく、事が発覚しないように夫婦そろって殺してしまう。

このような出来事は日常茶飯事のようにあった。曽根さんはそれが発展して未曾有の残虐事件である「南京虐殺」になったとしている。>

P七十六

 

このように書くが、この曽根氏については板倉由明氏が『諸君!』昭和六十三年(一九八八年)十二月号に「『南京虐殺』のザンゲ屋、『曽根一夫』の正体」としてその経歴詐称から虚偽の体験談を糾弾している。強姦や虐殺などは、最前線の歩兵の分隊長と書かれていますが、実際は砲兵隊の所属であり、しかも初年兵で馭者(大砲を馬で引っ張る係)であったことが確認されています。ましてや、所属部隊は南京に入城していない。

それ以前に、こんな事をやれば、戦時中でも犯罪です。

こんなアホばかりの証言を集めて喜んでいるバカどもは下記のとおり。

島田尚男(支局長)、鈴木孝雄(デスク)、支那担当・角南明、奥田明久

 

特に奥田明久は巻末に下記のような感想を書いている。

<「中国の人たちに、なんておわびしたらいいかわからない」と語る元日本兵。「戦争という独特の雰囲気に飲まれ、侵略に加担した事は仕方ないと思う。が日本の罪は大きい」とゴキを強める旧「満州国」の警官。隠したくなるような加害者としての戦争体験も、率直に語ってくれた人がいた事は、驚きというよりも救いだった。戦争を望む者など、だれもいない。

それなのに、繰り返される傷跡の歴史。それに終止符を打つには、「いじめた側」が深く反省することなしには得られない、と強く思う。戦後何十年、何百年たっても、今聞く事の出来る加害者の声は、貴重な財産として残るだろう。>

わざわざ、てめえからアホを曝してます。

流石は朝日新聞です。
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「聞き書き 静岡の戦争」(彩流社 昭和六十年刊)

そういや、曽根一夫の著書「 私記南京虐殺」も彩流社か。

売国奴つながりつうことですか。

ホンマ、あほらし

Sさん来店。

エイちゃん来店。

マヤさん合流。

Mさん二名様で来店。

Mさん二名様来店。

ドンチャン。

一応記憶あり

サルよりマシ。