日露戦争と諜報戦 明石元二郎

1月5日月曜日晴れ○
 1月4日よりの続き
 そして、有名な明石元二郎によるいわゆる「明石謀略」といわれるものである。

 <欧州では明石元二郎の謀略工作が身を結びつつあった。一九〇四年(明治三十七年)の夏、露西亜の正常は混沌としていた。各地でテロが頻発していた。コーカサスでは一日にテロで殺された役人が一〇人を超えた。
 七月二十八日には、内務大臣ブレーブェが馬車もろとも爆破された。そして、一〇月一日、第一回の秘密統一集会が、パリ開催にこぎつけた。今までバラバラだった革命グループを大団結させようというものである。この集会には八つのグループが参加した。社会革命党。自由党、ポーランド国民党、ゲオルギー党、アルメニア革命連合、ラトビア社会民主労働党、フィンランド憲法党である。議長は明石の盟友シリアスクが務めた。
 略)
 パリ会議で各地に散った革命グループは、デモ、集会、ストライキなどの火をつけて回った。パリ会議に参加しなかった革命グループも労働者を煽動していた。露西亜が大きく揺れ始めた。
 そして、この秘密集会が意外な効果を生む事となった。
 「我々に五万丁の銃があれば・・・・」と言ったものがいた。「どうせそんなことはできやしない」という意味であったが、明石はその言葉を聞き逃さなかった。
 明石はシリアスクに言った。「調達したら何が起こるか」と。
 明石の意図を察したシリアスクが目を輝かした。銃を五万丁調達するということは、大衆を武装蜂起させるということだ。今までのように暗殺を繰り返しても、入れ替わり立ち替わり次々に支配者が現れる。五万丁の銃を持った大衆を動かせば、相手を制圧する事もできる。
 翌年一月、パリ駐在公使・本野盛一は、小村寿太郎外務大臣に四五万円の送金を依頼した。その極秘電報には、「明石大佐の工作は進展し、露西亜国内の混乱は予想以上に早く進みつつある」とあった。
 参謀総長山県有朋が明石に四五万円の送金を決心したのは、奉天会戦の直後であった。
 戦にはかったが、すでに国力は尽きかかかっている。だから、この時点で講和を念頭に置いていた山県は明石の「後方撹乱工作」に期待した。
 山県は思った。「あいつを欧州に置いていて良かった」と。
 そして、つぶやいた。「明石という男は恐ろしい男だ」と。
 明石とシリアスクは、スイスで小銃二万四千五百丁、弾丸四二〇万発を調達し、その運搬についても両人で指揮を執った。
 そのうち八千五百丁は黒海方面に運び込んだ。
 しばらくして、オデッサで騒乱が起こった。武器を持った市民が官憲と市街戦を展開した。そして、六月二十七日、黒海艦隊の戦艦ポチョムキンの叛乱が起こった。
 バルト海に運んだ一万六千丁のうち八千四百丁は途中で没収されたが、残りの数千丁はコーカサス地方の反乱分子の手に渡った。この時期コーカサス地方で激しい騒乱が続発した。
 明石が日本に帰って来てから、革命グループの一人から手紙が来た。
「没収された八千四百丁も賄賂を使って買い戻した」とのことである。>
「帝国海軍が日本を破滅させた」P一四三〜一四五より

 <かくて露西亜は敗れたり。露西亜を敗北に導きたるは、大山の率いる満州派遣軍と、東郷の率いる連合艦隊の力なりしは勿論なり。されどその他に日本がヨーロッパに活動せしめたる有力なる一個師団のある事を忘れるべからず。即ち吾人は、この陸軍大佐明石元二郎率いる一個師団こそはごく極小の人員(恐らくは数名の機関人員)を以て、何人も夢想し得ざる最大の戦果を挙げ、露西亜戦闘力根底を破壊するに与って力ありしものなりしことを再言し、以て本稿の末尾をなさんと欲するものなり>
 「参謀本部の密使」南条範夫より軍事評論家F・モーガンの「秘められし露の敗因」
 私は「帝国海軍が日本を破滅させた」P九〇より

「明石元二郎一人で大山満州軍二〇万に匹敵する戦果を挙げた」
ドイツ・ウィルヘルムⅡ世 
「帝国海軍が日本を破滅させた」P九〇より

続く

 今日は河岸の初競り。
 でっ、今日の鮪の一番競りは百八十キロで四五一万だから、キロ二万千円だそうです。
 でっ、ここの会社は初競りだけ競り場にくるみたいなんですけど〜
 普段は相対取引だけ。
 あと、畜養が多いように思うんだけど?普段から天然?????
 宣伝目的と印象操作か?????

写真は今日の波除神社。
KASI27.1.5

 Oさん二名様で来店。
 Sさん来店。

 私は今日は酒は飲まず。
 サルでもエビでもない。