架空戦記を絶賛する愛国コピペ商売人・小名木善行
7月28日土曜日台風×
検証というものを一切しない口から出まかせの愛国コピペ商売人ねずさんこと小名木善行氏のたわごとを真に受けて「ねずさんと一緒に昇殿参拝する会」までやっている阿呆どもがいるが、今回も「目からウロコのもうひとつの終戦の歴史」だけでなく、ご丁寧に「拡散希望」までつけている。
そして、
「素晴らしい内容です。
おそらくこれを読まれた方は、これまでの歴史認識が一変するのではないかと思います。」
だそうだ。
アホ丸出し。
どこがアホか。
口から出まかせをやって生きて来たから検証というものをこの小名木氏という人間はしない。知らないからアホ丸出しなのです。
そんな小名木氏に騙されているどうしようもないドアホウも多い。
全文はコピペ愛国商売人の小名木氏のページを読んでほしい。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1373.html
魚拓
https://megalodon.jp/2020-0130-1119-20/https://nezu3344.com:443/blog-entry-1373.html
パラパラと読んだだけでこの「論文」とやらのアホさがわかります。
<アパグループの懸賞論文優秀賞(社会人部門)
題名【日本は負けていない】
~超経験者しか知らない真実~
著者 中松義郎博士>
こんな論文を優秀賞にするアホ審査員ども
最初に書いておきます。
この中松氏の論文とやらで評価できるのが下記のみです。
評価できるところは小名木氏は書いてない、小名木氏が書かないから評価できるのです。
<又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。
占領軍は日本占領中新聞や手紙の検閲を行って「大東亜戦争」の使用を禁止し「太平洋戦争」を公文書に使うよう強制したが日本は独立している今もって間違った表現の「太平洋戦争」という名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。 >
もう一度書く。中松氏の論文で評価できるのは
<「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。>
以上だけである。
これ以外は普通の日本人でない単なるコピペ愛国商売人の小名木善行氏だからこそ評価するのであって、普通の感覚の日本人であれば評価に値しないものばかりである。
他は中松氏による夢想の「架空戦記」であり、その架空戦記も嘘ばかりでレベルが低すぎる。
以下、中松氏の架空戦記
夢想
<海軍機関学校の入学試験の体格検査で75センチだった胸囲が、入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か3ケ月で104センチになった巨大な胸>
現実
戦前にボディビルの元祖といえば当店のお客様とも縁のある若木竹丸だろうが、若木氏のトレーニング理論『怪力法並に肉体改造体力増進法』が出版されたのは昭和13年であるが、当時はもちろん現在でもどんな筋肉トレーニングをおこなっても、たった三ヶ月で75センチの胸囲が104センチ。つまり29センチ、38%もアップすることは絶対にありえない。
ましてや、海軍というか軍隊での訓練、鍛錬は当然筋肉量を増やすためのボディビルのようなトレーニングではなく、軍事訓練である。
夢想
「ニューヨーク突撃隊 発進寸前」として
<翌日の八月十六日には、帝国海軍航空隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が北海道千歳で行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。
この作戦が実行されていれば、ドゥーリトルの東京空襲によりミッドウェー海戦が繰り上がったのと同じ二、米軍は10月予定の本土決戦を急遽9月に繰り上げた結果、天候の条件も加わり日本が勝利する展開になったのではないか>
P60
深山は6機しか生産されていないし、何よりも不採用。航続距離は約3500キロ
連山は4機しか生産されていないし途中で計画が中止になり終戦時にはまともな機体は一機もなし。航続距離は3700〜7400キロ
どっちも爆弾を積んでニューヨークまでの1万キロは不可能。
完成もしていない機体で猛訓練?
現実
確かに我が国帝国海軍は潜水艦伊17、伊26、伊25による米国本土砲撃は開戦直後に行った。そして、有名な伊25に搭載された零式小型水上偵察機(藤田信雄飛曹長と奥田兵曹)による2回の爆撃が我が軍による最初で最後の航空機による本土空襲である。
しかし、終戦間際に伊400と青嵐以外に米本土を攻撃できる可能性のある空母、航空機があったのか?
まさか計画倒れとなった富嶽、それとも試作機で終わった連山のことを言っているのであろうか。まあ富嶽は一応陸海軍共同、でも連山は陸軍ですけど~
「本土決戦の火蓋がきって落とされた後をシュミレーションする」として下記のことを書いている。
空想
完成した三千機の特攻専用機「劍」が、上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、多くの敵艦を撃沈撃破
現実
劔は計画でも550キロ実際は420~430キロと低速、操縦性の悪さなど飛行性能が劣悪であった。離陸すら危ぶまれた。終戦直前の希望的観測に満ちた計画文書でさえも戦力化は昭和20年11月以降、現実に劔とされる「キ115」は審査合格を待たず原型のままの機体だけが昭和20年5月中に18機完成し、終戦まで103機が完成したと言われている。そんな劔がどうして活躍できるのか。何よりも3,000機もの生産計画は立てられていない。昭和20年度下半期の生産内示案では原型の12、2㎡主翼を持つ「キ115甲」が第一軍需工廠(中島飛行機が民有国営化され改称)で300機、主翼を14、4㎡に拡大した「キ115乙」が第一軍需工廠と陸軍航空工廠で880機、さらに日本国際航空工業で「キ115丙」を100機生産する計画があった。海軍の「キ115・藤花」は昭和飛行機と艦政本部によって昭和21年1月までに520機が生産される計画であった。つまり生産計画だけでも1800機であって3000機などという機数はない。>
参照「間に合わなかった特攻専用機キ115剣」古峰文三 「丸」2018年9月号p85
夢想・空想
水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」(海軍兵学校校歌「江田島健児の歌」の「地に潜む「蛟竜」からとった名」から泡の航跡が全く残らない日本海軍の世界に先駆けた発明九三式酸素魚雷が発射されて、敵艦艇は次々に轟沈する。
現実
ウィキペディアより
<昭和20年7月末の状況では、呉鎮守府に48隻、佐世保鎮守府に4隻、舞鶴鎮守府に3隻、大島防備隊に1隻、ほか連合艦隊の第十特攻戦隊に18隻が所属の合計74隻でほんの926隻ほど足りない>
空想
海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる第六十七震洋隊江ノ浦(静岡三津浜)など三千隻の「震洋」爆突特攻艇が轟々と暁に発進し、残る敵艦や上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。
現実
<沖縄戦にも実戦投入されたが唯一組織的に出撃できたのは陸海軍水上部隊で、フィリピンのリンガエン湾に配備されていた第12海上挺身戦隊のみである。昭和20年1月9日夜マルレ約40隻45名で出撃しアメリカの資料によると、歩兵揚陸艇LCI974撃沈、駆逐艦3隻、歩兵揚陸艇1隻、兵員輸送艦1隻、戦車揚陸艦1隻に被害を与えた。これ以外は上陸前の艦砲射撃や空襲、上陸中の艦砲射撃などにより、隊員とと特攻艇が被害を受け出撃できる数が減り、組織的に出撃し戦闘を行った部隊はなかった。単発的な少数の出撃を繰り返し、昭和20年2月16日に第12震洋隊がバターン沖で大型上陸支援艇1隻を撃沈、3月28日に第二海上挺身戦隊が慶良間沖で歩兵揚陸艇1隻を損傷、4月4日に第22震洋隊が与那原沖で歩兵揚陸艇1隻を撃沈、4月9日に第26海上挺進戦隊が糸満沖で駆逐艦2隻を損傷、4月27日に第27海上挺進戦隊が那覇沖で派兵揚陸艇1隻を撃沈したことが米海軍公式年表で確認できる。このように終戦まで連合国の艦船の撃沈は4隻だったように決して成功した武器ではない。本土に上陸時も当然徹底的な砲撃、爆撃後に上陸してくるだろうから、震洋が無事である保証はない。>
参照「特攻モーターボートマルレ&震洋」奥本剛 「丸」2018年9月号p99
夢想
<それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の上陸用舟艇に対しては波打ち際の水中に展開する五式撃雷を待って潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る三千人の「伏龍」隊が上陸用舟艇を爆沈>
現実
これまたウィキペディアより
<仮に実戦投入されていれば陸上や他の隊員との通信手段はなかった。海中にいったん展開すると、陣地変換はほとんど不可能であった。
海中では視界も悪く動きも鈍くなるため、上陸用舟艇に向かって移動するのは事実上不可能であった。
五式撃雷(通称・棒機雷)は長い柄を持っていたが、水の抵抗のある海中では自由にこれを振り回すこともできず、当初5mも長さがあったものが2mに切り詰められた。また棒機雷の炸薬量では、舟艇を直撃しないと被害を与えることはできなかったが、数メートル離れたところを通過しても刺突することは不可能で、隊員の直上を上陸用舟艇がたまたま通りかかった場合以外に攻撃のチャンスは無かった。しかも、部隊の展開密度を上げると棒機雷が炸裂した時の爆圧で、近くの隊員まで巻き添えになるどころか次々と誘爆してしまう問題点があったそもそも、海中での爆発による強烈な水圧は隊員に致命的なダメージをもたらすため、上陸に先立つ準備砲撃が付近の海中に落ちただけで、伏龍部隊の大部分は駆逐されてしまったであろう。
視察した鈴木貫太郎首相(海軍大将で水雷艇戦術の専門家)すら、その実用性に否定的で、実戦使用に反対するほどであった>
夢想
それでもかろうじて上陸した敵兵を、五重の陣地で固めた世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な新開発五式重戦車と共に待ち構える。
現実
五式「重」戦車
五式「中」戦車のことと思われる。第一、我が国には重戦車と呼ばれるものは大東亜戦争中はなかった。
その五式中戦車チリも「試作」のみに終わった。
我が国の完成した戦車の最後は四式中戦車が試作車両2両のみである。最後の戦車は5式「重」戦車でなく三式「中」戦車ですが、昭和19年よりわずか60~166両(諸説あり)生産されたのみである。
ありもしない戦車でどうして戦うのであろうか。
夢想
上空の敵機には大東亜戦争決戦機として開発された世界最強(戦後アメリカの実験で時速最大六九〇kmを記録し最高傑作機と評価された。)の中島飛行機製二千馬力四式戦闘機「疾風」や、ゼロ戦の次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」が敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を次々と撃ち落す。
更にB29キラーとして海軍空技廠設計九州飛行機先尾翼型機首と強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」が時速七百粁以上という、米軍戦闘機、B29より早い世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き、敵機を一撃で撃墜する。
又、B29の前方上空に廻り込んで四門の砲でアッという間にB29を撃墜する。
種子島海軍大佐が開発し石川島重工業製の世界初のジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機「橘花」がB29を攻撃。
甲液「過酸化水素オキシノリン・ピオリン酸ソーダ」と乙液「水化ヒドラジン・メタノール・銅シアン化カリウム」を一〇〇対三六でミックスした脅威の推進力で、今迄達しなかった一万二千粁の成層圏まで従来型の飛行機では十数分かかったのを僅か三分五十秒で急上昇できる時速九百粁の画期的無尾翼型ロケット戦闘機「秋水」がその先頭部に搭載する強力三〇ミリ機関砲二門が火を吹きボーイングB29を一撃で次々と撃ち落すとして行く。
現実
<烈風は、零式艦上戦闘機の後継機として試作され、試作機8機が完成し、制式後の量産機は未完成のまま終戦を迎えた。>
<震電は昭和20年6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行を行い終戦を迎えた。>
<橘花は終戦時に完成していた機体は試作の2機のみであった。>
< 秋水は試作機で終わった。>
以上のように疾風以外の烈風、震電、橘花、秋水はいずれも試作機の段階である。試作機でどうやって戦うのか。
アホかと。
以下、このアホ戦記に掲載されていた夢想戦闘機
夢想
<運よく残ったB29も新開発の二万米に達する新高高度高射砲で撃墜されて行く。>
現実
B-29が恐れたと言われた五式十五糎高射砲でも、有効射高16,000メートルであったが、完成はたった2門で、共に久我山高射砲陣地に配備されたもののみである。たった2門でどうやって次々とBー29を落とすのか?
夢想
<戦争を始める理由になった燃料については、私の先輩で百歳の長寿を全うした帝国海軍機関学校第四十期生木山正義機関中佐と、又、私の先輩東京帝国大学工学部桑田勉教授の研究により、南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。
これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来るバイオ燃料を創り出す事に成功した。
しかも空襲に耐えるため蒸留工場を全国に分散して建設し、製造した。
この蒸留装置製造を実現できたのは海軍艦政本部が木山中佐の依頼に全面的に協力し蒸留装置を急速に造り全国に設置したからである。
これで日本は永久に戦える燃料を終戦前に用意できたのである。 >
どうして、現在、その燃料が使われていないのか。
夢想
<一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、零戦設計者堀越二郎の新設計の四翼プロペラ延長回転軸式新型迎撃戦闘機「雷電」や川西航空機製「空戦フラップ」付の新鋭機「紫電改」などの一万機が厚木航空隊に温存>
現実
雷電生産機数約400機 終戦時179機
紫電改生産機数400~428機 終戦時376機
総生産機数でも約800機、終戦時残存数555機。
特攻に白菊、九三式中間練習機(赤とんぼ)までつぎ込んだ我が帝国海軍にとって10,000機にはほんの「たった」9,445機ほど足りない。
この中松義郎氏の論文で一番アホなところは人材を無視していることである。
私の父は最後の予科練と言われた宝塚航空隊(甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊)であったが、親父の頃は乗る飛行機もない予科練ならぬドカレンと言われていた。
つまり中松氏は飛行機があれば大丈夫と思っているが操縦する人間が間に合わない時代であったことを無視している。
この中松氏の論文に検証というものを一切しないコピペ愛国商売人・小名木善行氏というアホは懲りずにまた書いている。
<目からウロコのもうひとつの終戦の歴史
七年前に一度ご紹介しましたドクター中松氏の論文です。
この論文は、アパグループ平成23(2011)年の「真の近現代史観懸賞論文」の第4回で、社会人部門で優秀賞をとった論文で、ネットで公開されているものです。
これを読むと、おそらくこれまでの歴史認識が一変します。
しかしこれは論ではなく、戦争のプロが体験した史実であり、歴史です
略)
いかがでしたか?
最近、8月15日を「終戦」と呼ばず、「敗戦」という語句を使う人が増えています。
とんでもないことです。
あくまでも日本が主体的に「戦闘を終わらせた」のです。
だから「終戦」です。言葉は大事です。
本土空襲を繰り返した米軍のB-29は、高度1万メートルという、日本の戦闘機では届かない高高度を飛ぶ爆撃機で、当時にあっては、まさに世界最強の「空の要塞」でしたが、その高度的に届かない筈の高さを飛ぶB-29を、陸軍の上坊良太郎大尉は、(高度が届かない筈の)戦闘機で12機も撃墜してしまっています。
さらに高高度を飛ぶことのできる飛行機を日本が完成させていたら・・・?
戦況はまるで逆転です。
ちなみに、あれほどの脅威を誇ったB-29を、戦後米軍は、あっという間に廃棄処分しています。
役に立たなくなったからです。
なぜかといえば、ジェット戦闘機が開発されたからです。
ジェット戦闘機の前に、B-29は、まるで空に浮かぶ間抜けな「的」できなくなってしまったからです。
そしてそのジェット戦闘機を、日本は戦時中、すでに開発していたのです。
そして一番大切なことは、原爆を落とされた日本が、実は原爆を持っていた、ということです。
その日本が、報復のため米国にもし原爆を投下したら。
それは、十分にあり得ることです。
それだけの技術が日本にはあったし、当時日本は戦争をしていたのです。
軍は、「勝つため」に戦争しているのです。
けれど原爆の打ち合いが、まさに人類を崩壊させるものとなるならば、それに歯止めをかけなければなりません。
だから日本は、これをうちヤメににしました。
それができたのは、日本が、戦争に勝って政治目的を完遂する政治権力よりも上位に、国家最高権威である天皇をいただく国であったからです。
そして米国にそれができなかったのは、米国には大統領という戦争に勝たなければならない国家最高権力者よりも上位の機構がなかったからです。
この二つの対比は、とても重要なことです。
陛下の終戦の詔勅を現代語訳すると次のようになります。
「敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、
いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、
まことにはかりしれない。
この上なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の
滅亡をも招きかねず、さらには
人類文明そのものを破滅させる
にちがいない。
そのようになったならば、
朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。」
この一文に込められたメッセージは、たいへん重要です。
「この上、なお交戦を続けるであろうか」
という一文には、原爆に対する報復措置としての米国への日本の原爆投下をする、というメッセージが込められているからです。
それをすれば戦いには勝つかもしれない。
しかし、そうなったら、
「朕は何をもって
億兆の国民と
子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に
あやまればよいか」
と陛下は述べられているのです。
世界的名著である、クラウヴィッツは、著書の『戦争論』で、
「戦争とは国家の目的を達成
するための究極の手段である」
と述べています。
日本が大東亜戦争で目的としたものは、「世界の平和と繁栄」です。
日本は、良心のために戦った。
だからこそハーグ陸戦条約を堅持し、日本は、一般市民に対する虐殺行為を一切やらずに戦い抜いたのです。
その日本が、戦いに勝つためにと、一般市民を巻き込む原爆投下を行ったらどうなるか。
なるほど日本は戦いには勝つかもしれない。
それは国家権力にとっては、権力行使の目的を達成することにつながるかもしれない。
しかし、国家権力よりも上位にある国家最高権威からみたら、それは国家権力による他国の民衆への虐殺行為であって、見過ごすことのできないものです。
だから陛下は、そのようなことをしたら、
「皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に、
如何にして謝れば良いのか」
と述べられています。
そして事実は、虐殺行為をすることなく、日本は世界の植民地支配を終わらせてしまいました。
つまり政治権力ではなく、国家最高権威が、まさにその目的を達成してしまいました。
それはまさに神々のなせるわざであったのかもしれません。
※この記事は2011年11月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。>
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3794.html
魚拓
https://megalodon.jp/2020-0130-1141-20/https://nezu3344.com:443/blog-entry-3794.html
<高度的に届かない筈の高さを飛ぶB-29を、陸軍の上坊良太郎大尉は、(高度が届かない筈の)戦闘機で12機も撃墜してしまっています。>
上坊良太郎大尉の搭乗機は日本初の邀撃戦闘機ともなった二式戦闘機「鍾馗」であり、のちに米軍も迎撃戦闘機として最高の評価を出している。
少し調べればわかることだが、Bー29は高高度で飛来したのは初期で、あのルメイが無差別爆撃を繰り返した頃は侵入高度1500~3000mであり我が国の迎撃戦闘機でも迎撃できたし高射砲も当たった(日本上空での米軍撃墜機の65%が高射砲によるものというデーターもある)。ましてや、爆弾の積載量を増やすために多くの機銃を取り外していたのである。しかし、Bー29は完全無防備の丸裸できていたわけではない。艦載機が護衛としてついてきていたし硫黄島が陥落後はP51が護衛機としてついてきたので、迎撃が余計難しくなったのと、本土決戦のために機体温存策を取り迎撃数が激減した。
あと、たった2機の試作機しかできなかった橘花がBー29を迎撃?原爆を完成していたとしてもその原爆を運ぶ手段もない我が国が大東亜戦争に勝っていただと。
なんにしても、普通に考えれば試作機、存在しない兵器を決戦の切り札と考えること自体がおかしいし何度も書くが操縦者だけでなく整備点検など保守技術者、部品はどうする。
こんなアホな論文を絶賛するだけでなく二回も掲載するもっとアホな小名木義行氏。
まあ、コピペ商売人にとったら騙されるどうしようもないアホどもがいる限り内容などなんでもええのだろう。
クソアホらし
参照
詐欺師集団・台湾民政府とそれを絶賛していた小名木善行氏
コピペ職人小名木善行氏の「台湾霧社事件と和の心」に見る嘘
アーレイ・バーク大将とコピペ愛国商売人ねずさんこと小名木善行氏
再び、ねずさんこと小名木善行氏についての疑問点
ねずさんこと小名木善行氏についての疑問点
戦争被害者商売人・堀喜身子
どんちゃん
記憶なし
猿以下