「水子の譜」にみる戦後、我が国同胞を襲った朝鮮人ども
引揚者の不幸
1月23日土曜日雪の予報が小雨△
我が国でも多くの在日朝鮮人が強姦事件を引き起こしています。
参照→朝鮮人の国技・強姦
それは戦後、支那、朝鮮などから引き揚げてくる我が国国民に対しても朝鮮人どもが容赦なく襲いました。
戦後の引揚者の皆様の苦労をドキュメント番組として放送したものをまとめたものである。
他に満州からの同胞の引き上げについて書いた本は、手元に「満州 開拓民非史」(高橋健男 批評社 平成二十年刊)がある。この本の参考文献にも「水子の譜」が記載されている。
泉靖一氏の作文と伝えられる新聞に出された同胞婦人がソ連軍、支那人、朝鮮人による強姦などにより妊娠、梅毒などの性病をうつされ悩んでいる方むけに出された「外地引揚のご婦人方に告ぐ」と題された、略されている広告文が掲載されている。それが、「水子の譜」には全文が掲載されているなど貴重な資料には間違いない。
<「外地引揚のご婦人方に告ぐ」
終戦以来軈て一年、海外発展の夢ははかなく敗れ、厳しい敗戦の苦に追はれて海山千里、はるかなる祖国へ陸続と我が幾百万の同胞は限りなき荊の道を帰つて来ます。
一朝にして産を異境に失ひ生活のため否生存の為あらゆる苦難と戦はれた同胞の中、殊にか弱き女性の身を以って一旦の命をだに支へる術もなく、遂にはそのゆかしき誇りを捨てて、果てはいまはしき病に罹り、或は身の異状におぞましき翳をまとひて家郷に帰り、親兄弟にも明かされず、まして夫に対しては余りにも憚り多く今は身も世もなく暗澹たる憂悶の日々を送つてゐる御婦人も尠くはないと思料されます。
かうした不幸な御婦人方を専ら収容して之が救療に最善を尽くし、一日も早く健康を恢復してその新生の前途に光明を与へようと、過般来筑紫の景勝二日市の泉都に厚生省博多引揚援護局保養所が開設され、快適の療養施設を完備して皆様をお待ちいたしております。
診療に要する経費とか或いは身上に関する懸念とか、一切相談に応じますから、どうぞ御遠慮なく左記へ御来談又はご連絡ください。
昭和二十一年七月十七日
福岡県筑紫郡二日市町湯町 厚生省博多引揚擁護局保養所
福岡県御供所町聖福寺内 在外同胞援護会救療部>
昭和二十一年七月十七日付「西日本新聞」第一面下段広告 縦六・四センチ、横九センチ
「水子の譜」(上坪隆 社会思想社 一九九三年刊)P一七五〜一七七
この本には当時二日市保養所にて産婦人科部長を勤めて一人でほとんど胎児手術を行っていた、橋爪将氏の証言が掲載されています。
橋爪医師は京城帝大を卒業後、大東亜戦争中は軍医として出征しフィリピンの野戦病院に勤務されていて、戦後帰国後九州大学産婦人科に勉強に通っている時に、声をかけられ悩んだ末に非常事態だからと二日市保養所に赴任された。
我が国が大変な時であったので、それをご理解されて、高松宮殿下がいらして直接お声もかけていただいたそうです。
この本を出版時には広島市で産婦人科医院を開業されていた。
昭和二十一年六月十日付で書かれた「部外秘」と朱書きされたという橋爪医師の現状報告書が掲載されている。
これは波多江興輔氏(当時は泉靖一氏の補佐として救療部会計係のち北海道東北開発公庫理事)が保存していたものである。
以下引用
<二日市保養所現況報告書 二日市保養所医務主任 橋爪将
在外同胞引揚者ニ対スル援護事業救療ノ重要ナル一部門トシテ、引揚婦人ノ不法妊娠(強姦などによる妊娠を救療部ではそう呼んでいた)ニ対スル処置及ビ性病ノ治療ヲ主任務トシテ設立セラレタル本療養所モ、日ヲ経ルコト二ヶ月有余ニ達シ施設医療機材ノ整備モ終リ、業務モ漸ク軌道ニ乗リタルヲ以テ第一回ノ収容患者状況ヲ報告セントス。
悲惨ナル環境ニ於テ不幸ノ辛酸ヲ背負イ、過去ノ悪夢ニ怯エナガラ憔悴シ入所セル婦人モ温泉地快適ナル生活環境ト内地風物ニ接スル安堵ト、将来ニ対スル希望等、所内生活ヲ楽シミツツ療養ニ励ミタル後苦悩ヨリ解放セラレ、振返リ振返リ退所スル嬉々タル状景二接スルトキ此等婦人二対シ将来ノ幸福ヲ切願スル感慨二耽ラザルヲ得ズ。
以下開所以来収容セル患者ノ状況ヲ述ペントス。
一、昭和二十一年六月五日現在迄二収容セル患者附表ノ如ク、総数七十四名中北鮮引揚者三十七、南鮮引揚者二十二、満州引揚者十、北支引揚者三、台湾引揚者一、比島引揚者一、ニテ最近二至リ満州引揚者増加ノ傾向ヲ見ル。
一般二本所二送ラルル患者ノ過半数ハ博多埠頭ヨリ直接或ハ博多聖福寺臨時救護所ヲ経テ送ラルル者ニシテ、一度帰郷後訪ルル数少キモ、最近直接本所二来リ入院ヲ希望シ来ルモノ逐次増加シツツアリ。台湾比島各一ハ何レモ一旦帰郷后身体ノ異常二気付キ、新聞紙上二於テ本所ヲ識リ訪レタルモノナリ。
二、病類別二収容患者ヲ見ルニ、不法妊娠最多ニシテ四十七名、性病十一名、其ノ他婦人科疾患三名、内科疾患五名ナリ。
不法妊娠ヲ地区別二分類スルニ北鮮二十四ニシテ最多、南鮮十四、満州四、北支三ノ順序ニシテ鮮入二因ルモノニ十八、ソ連人二因ルモノ八、支那人二因ルモノ六人、米人二因ルモノ三、台湾人、比島人ニ因ルモノ各一ナリ
以上ノ数ハ状況北朝鮮最悪ナルヲ思ワシメ、満州比較的良好ナルガ如キモ現在迄ハ朝鮮方面ヨリノ引揚者最多ナリシ点ヨリ考工必ズシモ然ラズ。
今後満州方面ヨリ多数引揚開始サルルニ従イ、不法妊娠例モ増加スルモノト思ワル。
尚妊娠月数ハ五ケ月最多ニシテ十五例、八ケ月八例、七ケ月六例、六ケ月十ケ月トモニ五例、三ケ月九ケ月三例、四ヶ月二例ナリ。
性病ハ淋疾八、黴毒三ニシテ地区別ニハ北鮮六、満州四、南鮮一、原因別ニハソ連兵二因ルモノ八ニシテ最多、次イデ鮮人二因ルモノニ、支那人二因ルモノ一ナリ。
性病ノ比較的少キハ、本病ノ内診其他精査二拠ラザレバ発見シ難キコト、マタ何処ノ病院二於テモ治療シ得ルトノ考エヨリ患者ガ重大視セザルコト、
妊娠ノ如ク徴候著明ナラズニ気付カザルコト、団体行動ヲ為シアル関係上差恥ノ為申告ノ機会ヲ逸スル等ノ事情ヨリ実数少ク、事実ハ相当二多カラズヤト思考ス。
三、現在マデ手術セル例数左ノ如シ
人工妊娠中絶 三十例
其他ノ産科手術 十二例>
P一八一〜一八三
同じ二日市保養所については名越二荒之助氏も書いておられるが、手元の名越氏の著書には一切朝鮮人のこの強姦の事は書いていない。
<ソ連将兵の非道を証明する帰還女性の堕胎と水子地蔵
満州で帰国を待っていた間に、ソ連兵に犯されて妊娠させられた日本女性は数知れない。
昭和二十一年から二年にかけて、福岡県博多港には毎日のように引揚船が入ってきた。
名越氏はいい事もいっぱい書いていらっしゃるのだが、どういうわけか朝鮮人の強姦についてはこのように何も書いていない。その中には不幸にしてソ連兵に犯されて妊娠した者や、梅毒に冒された者も多くいた。
途中玄界灘に身を投じた人もあったと聞くが、身近な人は筑紫野市の二日市保養所や、博多、佐賀などで不法の堕胎手術を受けた。その手術は京城帝大の医師が当たった。当時消毒薬や脱脂綿、麻酔薬などが乏しく、それに妊娠七ヶ月に及ぶ人もあり、手術に失敗して命を落とした人もあったという。
堕胎されてこの世の光を見ずに亡くなったいわゆる水子は、三ヶ所で約一千人にも及んだ。これを弔う地蔵尊と慰霊の碑が、二日市の保養所敷地に建っている。>
昭和の戦争記念館 第二巻 大東亜戦争と被占領時代 P一〇四
このように書いてあるのはソ連兵による強姦被害のことだけである。名越氏はソ連に長年抑留されていたがそのことが関係しているのであろうか。
実際は、ソ連兵による満州などの醜い被害は除き、先に記したように二日市保養所においての堕胎の記録では、ソ連兵のいなかった南朝鮮でも多くの強姦被害があったように我が国国民に対して、一番多かったのは朝鮮人による強姦被害である。
「水子の譜」(上坪隆 社会思想社 一九九三年刊)
「昭和の戦争記念館 第二巻 大東亜戦争と被占領時代」昭和の戦争記念館刊行会 編者名越二荒之助 展転社 平成十三年刊
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ホロンさん来店。
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Kさんご夫妻来店。
Sさんご夫妻来店。
デッ、ドンチャン。
記憶なし。
猿以下。