朝鮮人・姜尚中よお前に関係ないだろうに
朝鮮人・姜尚中よお前に関係ないだろうに
9月29日火曜日晴れ◯
朝日新聞のアエラは姜尚中という在日朝鮮人を重用している。
この朝鮮人は外国人のくせに今回も我が国の憲法についてくそ偉そうなことをほざいています。
<日本国憲法 世界的に見て「突出」している部分とは
9月24日(木)7時12分配信AERA
略)
実は、学生時代の私は日本国憲法に反感を持っていたんです。日本国籍を持っていない自分たちは、日本国憲法の外にいるというような意識があった。今から思うと斜に構えていたんですね。自分が日本の中に定着して家庭や職を持ったりして、やっぱり自分はここの在来種なんだ、という意識を持つようになって、国籍とかナショナリティーというものが相対化されました。それから憲法というのは大切なんだ、という意識を持ったんです。
日本国憲法は世界的に見ても、「平和」に重きを置いた憲法として、非常に突出していると思っています。例えば、日本国憲法の前文には、「われらは、平和を維持し」と書かれ、さらには「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と続きます。
このように世界の憲法が皆、平和を何にもまして謳っているかといえばそうではありません。ドイツの憲法にあたる基本法の第1条に掲げられているのは「基本権」ですし、今回の難民受け入れも、それに基づく「庇護権」の尊重によるものです。このように憲法というのは国のあり方をよく表しているのです。戦争の悲惨さを知る日本国民にとって、日本国憲法は平和を第一に謳っているからこそ、受け入れやすかった。人権とか民主主義とか言う前に「平和があってはじめて生活ができるんだ」ということが実感として深く刻まれたのでしょう。
この憲法を「押しつけ憲法だ」「日本語らしくない」と言う人がいますが、よく読むと明晰なんですよ。誰かの談話のように主語がなくて意味がわからないのではなく、「誰が」「どこで」「何を」「どのように」というような文章構成の必要条件を満たしていますから(笑)。
日本の社会にいると、お互いにわかるだろうという気持ちになり、曖昧になりがちです。もちろん、それが良い面もありますが、だからといって憲法がそうであっていいはずがありません。私は人間の社会生活の中に、ひとつぐらいは明晰で主語述語関係や権利関係がはっきりとしたものを知っておくことも必要だと思うのです。その点で日本国憲法は格好の教材と言えるでしょう。
※AERA 2015年9月28日号より抜粋>
<日本国民にとって、日本国憲法は平和を第一に謳っているからこそ、受け入れやすかった。>
日本国民?
外国人のお前が言うな、この朝鮮人!!
今回もそうだが、
<この憲法を「押しつけ憲法だ」「日本語らしくない」と言う人がいますが、よく読むと明晰なんですよ。>
と書きながら、押しつけ憲法でない根拠をどこにも明示していない。
過去の日記に私は、姜尚中氏は小森陽一氏の対談形式で出した「戦後日本は戦争をしてきた」という文庫本よりの引用としての中で下記のように指摘しました。
「日本は一度として『平和国家』だったことはない」と裏表紙に書かれたこの本によると、
姜氏は鶴見俊輔氏の言葉を引いて、
「押し付け憲法というけれども、決してそうではない」と書いています。
<姜 GSにいたニューディーラーの若手の人たちの中には、日系ユダヤ人も含め、ユダヤ人が何人かいました。ナチスドイツのユダヤ人虐殺を知っている彼らは、東京の荒廃した場所や広島・長崎を見て、いかにむごいことを我々はやったのかと感じた。
敗戦国の大地に立ったときに、憎い敵国であったにせよ我々勝者はこれほどまでにひどいことをした。我々はアメリカ人としてここに立つのではない。人間としてここに立つのだ。戦争というものがいかに悲惨なものであるかということを認識し、人間として出発しよう。そんな風に考えてあの憲法を作ったのではないか、と鶴見さんは指摘しました。慧眼です。
小森 今だに「押しつけ憲法論」が存在する事自体がはずかしい。>
p九十四
<姜
アメリカの冷戦下における、パワー・ポリティクスに基づく対日占領政策が一方的にあると同時に、日本国憲法を発案した人たちの中に「人間としてこれを作った」という思いがある。
日本が占領地においてそれをやっていたら、つまり朝鮮半島において一九一九年の弾圧の弾圧をやった後、「これはむごい事だと」と認識していたとしたら・・・・・・。日本は、立憲君主制の明治憲法下でも許されていた大衆の社会権や自由を、異民族を支配する以上はそこにも認めなければならないと、いうところまでいけなかったわけです。
ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」という映画に描かれていますが、アイルランド支配の中でイギリスはちゃんと自由化政策を行っています。そうした自由化政策すらも日本はしなかった。ということは、いかに過酷であったかということです。それを考えると、残念ながらアメリカのほうがはるかに日本より進んでいた。>
p九十四〜九十五
「戦後日本は戦争をしてきた」 姜尚中・小森陽一著 角川書店平成十九年刊
と書いているが、押し付け憲法論がどうして恥ずかしいのか、この文章内容では私程度の頭には理解できない。つまり、押し付け憲法でないという否定材料がどこにも示されていないのではと思うのですが。まさか、両氏にとっては、鶴見俊輔氏の希望的観測による言葉がその裏付けなのだろうか?
普通は、その成立するまでの歴史的な事実を背景にして、判断すべきだと思うのだが、このお二人は違うようです。
ましてや、この文章だと、憲法を作ったのは進駐軍のユダヤ人であり、我が国ではないことになる。つまり、勝者であるアメリカ軍が押し付けたということに何も変わりがないと思うのだが、どこをどう読めば、「押しつけ憲法でない」と読めるのだろうか。
下記は産經新聞の記事よりの引用です。
以下引用
<「GHQ作」 押し付けられた日本国憲法を明記
昭和天皇実録には、日本国憲法が連合国軍総司令部 (GHQ) の “押し付け” だったことが、明確に記されている。
昭和21年2月22日 《去る十三日に国務大臣松本烝治(じょうじ)は (中略) 聯合国最高司令部民政局長コートニー・ホイットニーほかと面会し、ホイットニーより、(中略) 最高司令部作成の憲法草案を示され、これに基づく憲法起草を要求される》
■GHQの違法行為
3月5日 《昨日午前、聯合国最高司令部に提出された日本国憲法草案は、同司令部において (中略) 夜を徹しての改正作業が進められ、この日午後四時頃、司令部での作業が終了する。
一方、首相官邸においては、この日、朝より閣議が開かれ、(中略) 改正案を日本側の自主的な案として速やかに発表するよう同司令部から求められたことを踏まえ、(中略) 勅語(ちょくご)を仰いで同案を天皇の御意志による改正案とすることを決定する》
GHQの行為は、被占領地の法律尊重を定めたハーグ陸戦条約 (1907年改定) などに反する国際法違反だ。
GHQが 「改正案を日本側の自主的な案として」 発表するよう求めたのも、違法性を認識していたからにほかならない。
だが、当時の日本に、GHQの非を指摘できるはずもなかった。
問答無用で日本の根本規範まで崩そうとするGHQのやり方に、閣僚らは暗然としただろう。
■終戦1周年に座談会
一方、昭和天皇はどんな気持ちだったか。
改正案が発表された翌6日、報告を受けた昭和天皇は木下道雄侍従次長に 《自らの御退位につき (中略) 御意志のない旨》 を伝えたと、実録は記述する。
この国難に背を向けず、国家再興の精神的支柱であり続けようとした覚悟がうかがえる。
終戦1周年の前日、昭和天皇は閣僚らを集めて座談会を開いた。
同年8月14日 《天皇より日本の敗戦に関し、かつて白村江(はくすきのえ)の戦いでの敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機となった例を挙げ、今後の日本の進むべき道について述べられる》
昭和天皇の目には、奇跡の戦後復興が見えていたのかもしれない。
産経新聞 2014.9.24 08:15>
引用終わり
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140924/imp14092408150002-n1.htm
今まで多くの証言があり、今更ながらという記事です。
姜尚中氏が「押しつけ憲法でない」と理由も明示せずにほざき、社民党などが後生大事にしているわが国の憲法がいかにして作られたか。その背景、そして過程をみれば、現在の日本国憲法に異常さが売国奴でなければだれにも理解できるはずだからです。
当時のマッカーサー連合国軍総司令官は終戦間もない昭和二〇年一〇月十一日、幣原喜重郎内閣に憲法改定を指示しましたが、この占領下における憲法改定という異常さについては、わが国とちがい「無条件降伏」をしたドイツに対してさえ憲法改正を連合国が求めてなかった事でもわかります。
その日本国憲法は、憲法学者の松本丞治博士を委員長とする憲法問題調査委員会の提出した草案をGHQは拒否し、たった一週間という短時間で作られ、それはフィリピン植民地憲法を基にした、GHQの起草した占領政策に基づく英文の草案により、日本側翻訳によるものが現行憲法です。
この憲法改正について、我が国の国民はなんらその内容を知らされる機会もありませんでした。それだけでなく、新憲法制定というわが国の根幹に関する事がGHQの手で進められていることが知らされることはありませんでした。それが可能だったのは、戦後、GHQによって実施されていた徹底した言論統制によります。
それにより、わが国が独立後も普通の国でない、片輪の国のままになるようにこの憲法を作りました。
私は、九条を守れとか憲法改正を許すなと言っている護憲派といわれる連中に聞いてみたい。本当に日本人自身の手で定めた憲法であると心の底から思っているのかと。制定過程、内容ともこんな異常な憲法をそう思っているというのであれば、そいつは心底アホウか、大嘘つきである。
まあ、あの土井たか子女史を「憲法学者」「憲法の専門家」といっているぐらいですから、護憲派といわれる連中はそういった連中なのでしょう。
しっかし、ホンマに知れば知るほど嫌になる我が国の寄生虫・腐れ朝鮮人!
あほらし
三名様来店。
Mさん二名様で来店。
今日は飲まず。
猿でも海老でもない。