在日朝鮮人はなぜ尊敬されないか

在日朝鮮人はなぜ尊敬されないか
6月14日日曜日晴れ△
済州島四・三事件と言われるものがある。
大東亜戦争が終わって三年後の昭和二十三年四月三日より完全に鎮圧された昭和三十二年までに南朝鮮・済州島において六〜八万人が虐殺され島中が焼き尽くされた事件である。
手元に二冊の本があります。
「語り継ぐ済州島四・三事件」許滎善著 村上尚子訳 新幹社 平成二十六年刊
「在日コリアンの100年」NPO法人コリアン人権生活協会 かもがわ出版 平成十八年刊

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「語り継ぐ済州島四・三事件」には「日本へ、日本へ行った人々」として下記のように書かれています。
<島を襲う虐殺の暴風雨を避けて、大勢の村人らが玄界灘を渡った。大急ぎで財産を売って息子を日本に逃した父母たちがいた。そうやって送り出された息子たちは生き残り、故郷に残った家族が犠牲になる場合もあった。
四・三に掛かりあった人々。罪がなくとも、ただひたすら生きる為に、あるいは一族滅亡を避けて、日本に去って行った。息を殺しながら真っ暗な海を渡ったのだ。中には、日本から一時的に帰省したところを四・三に遭遇し、命がけで再び日本に密航した者もいる。
一九四八年十二月、済州に住んでいた李某は自宅にいたところを「逃げようとした」という理由で警察に連行された。そして、足を縛られてブタのように吊るされ、醜い拷問を受けて背骨が飛び出してしまった。そうして、五日後に釈放され、生き延びる為に一九四九年に日本に渡った。>
p百十四〜百十五

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「在日コリアンの100年」では金時鐘氏が下記のように述べています。<四・三事件という、済州島での酸鼻を極めた赤狩りの恐怖を逃れて、私は一九四八年六月に日本にやってきました。来日時、在日二世の下限に近かった私も、以来半世紀を日本で過ごしてはや八〇歳にならんとする在日のオールドゼネレーションとなってしまいました。>
p二八〜二九

戦後、密入国までして我が国に来た朝鮮人も多い。そして、この金時鐘氏のように虐殺を逃れてそのまま我が国に居ついてしまった朝鮮人の多くは第二の祖国とも言える我が国に対して感謝することもなく我が国に集り続けている。
金時鐘氏自身下記のように言っている。

<日本に来てこの方、私は自分を律する二つの命題を抱えて生きてきました。一つは至って私的なことですけれど、植民地の祖国が日本帝国主義の頸木から甦ったという八月十五日の解放は、私自身にとって何だったのか。軍国主義天皇崇拝の教育にどっぷりと浸かって過ごした私の、何が何から解放されて解放後の朝鮮人となったのか、というに尽きることのない自分自身への問いです。この問いかけが日本語で詩を書く私の、在日朝鮮人としての行動原理の支えともなって今日に及んでいます。
二つめは来日早々から、私は自分の国が最も困難な時期、自分の育った所が極度の狂乱の最中にあった中を脱出したものですから、逃げを打ったという負い目に苛まれて日本共産党に入党しまして、在日朝鮮人の当時の組織、民戦の常任理事になりました。
そのように在日朝鮮人運動の組織活動を続けた者として、日本に定住することの意味と展望をどのように掴み取って実践するのか、それはまた南北に分断されている本国の命運とどのようにすれば兼ね合うことができるのか、という総体的な課題と表裏を成すものでありました。>
P二九〜三〇

つまり、勝手に来ておきながら我国に貢献するなどという気持ちは皆無なのである。

また、在日朝鮮人ということを飯の種にしている辛淑玉女史は同じこの本で下記のようにほざいアホぶりを爆発させています。
<しばしば私に向けられるもう一つの質問に、「日本と韓国が戦争になったら、あなたはどっちにつくのか」というのがあります。私はどっちについても殺されます。日本についても、韓国についても、もちろん北朝鮮についても同じ。それが在日です。
少し前、私はある勉強会で、野党の大物議員にある質問をしました。
その議員は、イラクで日本人が人質になった時、小泉首相はあまりにも情がないと語りました。そこで、「ところで、私は在日朝鮮人の三代目で、永住資格があって、国籍は韓国ですが、私がイラクで拘束されたら、小泉さんは私を助けてくれるでしょうか?野党は助けてくれるでしょうか?そして、あなたは私を助けてくれますか?」と聞いてみました。
その時、その野党の議員は何と答えたと思いますか・
その議員は、私の質問の意味自体が理解できませんでした。彼は、その人生の中で、有権者以外の人間を「人」として見たことがなかったのです。いわんや、管理の対象で、犯罪予備軍の「外国人」の人権なんて、一度も考えた事がなかったのでしょう。
私が再度の質問と説明をして、結局彼は、小泉自民党や野党が私を助ける事は「世論が支持しないだろう」と言いました。そして、御自身は、「助ける努力はすると思う」という事でした。
これは日本語で「助けない」という意味です。つまり、そういうレベルの中で我々「在日」は生きているという事なのです。>
P五六〜五七

この話を辛淑玉女史はあちこちで使いまわして話していますが、あまりにもアホすぎます。
なぜ、我国国民でない三代に渡って「外国人」である辛淑玉女史を我国が助ける必要があるのか。

お前らの祖国である南朝鮮政府に助けてくれと言え!
自分が住んでいる国に対して恩も感じず、貢献しようともしないで権利だけを主張する外国人である在日朝鮮人が人間のクズ、ゴミ、寄生虫と嫌われ軽蔑されこそすれ、尊敬される事など絶対にない。
知れば知るほど嫌になるのが我が国の寄生虫である在日朝鮮人である。

あほらし。

チンタラと片付けながら営業。
かな江ちゃん社長、Yさん来店。
小胡子さん二名様で来店。

ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。