航空機と牛車
4月23日木曜日晴れ⚪️
随分前に古本市で購入した「日本軍の小失敗の研究」「続・日本軍の小失敗の研究」(三野正洋著 光人社 平成七年、八年刊)を読む。
唖然とさせられる事多し。
航空機と牛車と題した章では、国内の大規模航空機製造工場である三菱航空機名古屋製作所、中島航空機太田製作所、愛知航空機名古屋製作所、川西航空機姫路製作所の主力製作所がすべて隣接する飛行場を持っていなかった。
そのため、製作した飛行機をまた分解して、二頭の牛に引かせた牛車に積み名古屋→各務原(岐阜県)四十キロ、太田→熊谷(栃木県)三十キロ、姫路→相生(兵庫県)三十五キロを運んだ。
中島、川西の二つにはのちに飛行場が設けられたそうであるが、最大の三菱、愛知には終戦まで隣接する飛行場がなかった。
昭和の初めに航空機工場を建設する時に、誰一人として飛行場を併設する事を考えつかなかった。あるいは考え付いてもそれをしなかったのである。
あほらしというか情けなすぎる。
めちゃ暇。
Sさん来店。
一名様来店。
さっさと帰る。
今日は酒は飲まず。
管理人さんコンバンワ。
私も10数位前に読みました。
あほらしくて情けなくて涙が出ましたよ。
昔の点数バカの陸士海士のぼんくら達が、現在の官僚なんでしょうかね?
新幹線の生みの親の技術者も、会議中に将校との意見が合わず、廊下に連れ出されてシタタカ殴られたとありました。
点数バカの軍人が多くいたみたいですね。
戦争に負ける理由は物資の問題だけが多く語られますが、「人・人間」の問題が主な理由だったんですね。
異国で戦死してなお遺骨さえ日本に帰れない英霊たちが可哀想です。
ちなみに、仏前にご先祖様以外に、硫黄島で亡くなった英霊に対して「御水」をお供えしてはや5年くらいになります。
少しは御供養になってると信じて。
「喧嘩一代」青山光司先生の本で、硫黄島に人足として行かされた日本人が、そのまま玉砕させられたんでしょうね。
米国議会で安倍総理が米国の将軍と栗林閣下のお孫さんと、紹介して握手した場面、やっとここまで来たという事ですね。
勝手気ままに、思うままインプット。
失礼しました。
メバル釣りさん
まいど〜
コメントありがとうございます。
ですよね〜
なんでやねんと思う事多々ありますね。
これ以外にも「こうすれば勝てた」というたら、れば類の本が多いですが、
それよりも、そんなことよりも、子供でも気がつくような事を、大人が、それも専門家が普通に考える事ができなかったのかとがっかりします。
陸軍、海軍がバラバラの時点で勝てまへん。
情けない事です。
ご遺骨に関しては、私は、では、海軍の方のご遺骨はと思っている方です。
海軍では水葬にするのが普通ですからご遺骨はありません。
ご遺族の方は遺骨を探せとは言わないです。
戦後70年の今、時間と税金を使って遺骨を収拾する意味は私は疑問に思っています。
現実に、それに群がる利権屋の話もチラホラあるようですから。